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1週間に1記事を目標にして、考えたことや描いた絵について書いてます。

どんな物語がヒットするのか

物語はどんなものが読者の興味を引くのだろうか?ヒットした作品を考えることでヒントを探ってみることにした。

(今週の一枚)なんだね?(うんち💩禁止です)

 

 絵の技術を上げるのは個人的に限界に近づいてきているので、この技能を使ってお話を作ろうかと考えている。

 まぁ、なかなかお絵かき用にまとまった時間が取れないので、代わりに文字を書いたりするなら空き時間でいけるかなぁという感じ。その際、どんな絵が評価されるのかを考えることも大切だが、その元になる物語はどんな風に作ればいいのか皆目見当がつかない。

 絵を描き始めた時も同じような感じで試行錯誤していたことを思い出すと、これも最初から積み立てていくことになるのだろうが、一からやるのもの面倒なので、どういったものが見てくれる人に好印象を与えるのかを漫画やアニメ作品を見返すことで考えてみることにした。

キャラの推し方

 漫画やアニメ作品を見返すと、面白いなぁと思う作品もあれば勢いで突っ走っているものもある。そういった中で、話は面白くても全く評価されないものもたくさんある。

この差はいったい何だろうかと考えると、キャラクターがだす印象の差なのではないかと感じる。物語の軸になるキャラクターが地味であったり、特徴がないとどうしても話のとっかかりがなく、読んていて退屈を感じてしまうのだろう。

 

 例を挙げてみる。

 

 メイドインアビスという作品は今ではとてもメジャーになり、たくさんのお客さんがついている。世界観や丁寧な作風が印象的な作品だ。しかし、連載当初はいつ打ち切りになるかわからないほど人気がなかった。これは主人公の子供2人に目立った特徴がなかったからではないかと思う。純粋に見て、ロリ系漫画に出そうなキャラがゲロを吐きながら冒険するというのは一部の紳士達には好評だが、普通の読者には入ってこない。

 これを一変させたのが「ナナチ」の登場で、ケモナー歓喜で、キャラ背景もとんでもなく悲惨で、可愛らしい毛玉が涙を流しながら生きる様はみんなの心を打ったのだろう。また、このキャラによって一気に物語が現実感を帯びたのは印象的だった。

 たった一人、特徴的なキャラが登場するだけで作品の評価だけでなく、物語の深みがガラッと変わるのはとても意外だった。

 

 ベルセルクは日本、海外を問わずとても有名なダークファンタジーだ。何度も映像化・ゲーム化され一大コンテンツとなり、作者が急逝された後も大人の都合で続いてしまう作品だ。しかし、第一巻をご覧になればわかるがものすごい書き込みであるが、絵としてはあまり上手ではなく、物語も何が言いたいのかよくわからない。おそらく、読み切りの内容を拡大する形で、見切り発車で連載がスタートしたんじゃないかと思う。

 くしゃくしゃな物語がぐっと締まりだしたのは、匂わせていた4人のゴッドハンドが登場してからだと思う。物語の軸に、戦乱の奥には別の世界があり、人の嘆きや欲望を集めることで特殊な力を持つ彼らが表世界に徐々に干渉するというものがある。この作品の軸は映画ヘルレイザー(初代とⅡ)に強く影響を受けたと見受けられ、世界観がとても似ているだけでなく、ゴッドハンドたちにキャラデザインやイメージがとても似ている(…というかそのまんまのキャラもいる)。その世界観から発展した物語なのだろうが、作者なりにそれをキャラとして表現することで物語をブラッシュアップして方向性が確定したのではないかと思う。

 泥だらけで這いずり回る主人公が彼ら超人を探し回る様と絶望的な暗闇(ヘルレイザー)は誰もが持つ心の暗い部分を映すことになり、とても深い物語になったと思う。

 もし、ゴッドハンドのいない物語なら、只々主人公がつらいだけの目標のない悲惨な物語なので、キャラ立ちする主人公がいたとしても、その対になるキャラがいなかったら面白くならなかったのだろう。

 

物語と異文化

 物語を面白くしようとすれば、現実とリンクしたり、共感を得る必要がある。日本人にとって最も身近で多くの人が経験するものが学校という存在がある。未成年が多くの人に出会い、楽しかったり辛かったり恋をしたりする。多くの人が色々な経験と感情を同じ空間で味わう。そのため、非常に多くの日本の漫画・アニメ作品では物語の下地に学校生活のような共同体や規則が使われる。そこから逃げ出した引きこもりやグレたキャラの物語があるが、あくまでアンチ学校というくくりで考えれば、学校という一般生活が前提にあるのかもしれない。

 しかし、この共感性は日本のみに適応されるもので、海外では奇異に映り、意外と理解されないものだ。そんな日本人の共感を前提に置いた作品群において、いくつかの作品が高い評価を得ている。これら作品はなんで高評価なのか考えてみた。

 現状で最も評価を得ているものはAKIRAだ。この作品は日本においてエポックメイキング、漫画の描き方の分岐点と言われる作品で、細密な背景画やリアリティを持ったキャラやメカの動きを表現することで、今までの「子供が見る漫画」を「ある種の芸術」まで引き上げたなんて評価のある作品だ。

 しかし、非常に変な話で、この作者の作品で評価されたものがこれしかない。AKIRA以上の芸術性を持った映像作品も鳴かず飛ばずだ。もし、海外での「芸術」としての評価が本当に高いなら、その他でも高い評価と売り上げ、知名度を上げるはずだが…それがない。

 つまり、AKIRAが受けたのは芸術性もさることながら、もう一つ海外勢の琴線に触れるものがあるのだろう。自分はこれについてつらつらと考えると、「彼らが欲したイメージの具現化」ではないかと思う。AKIRAの背景設定は第三次世界大戦後の東京で、改造されて進化(?)したアキラ少年の超能力を起点として人々が薬を飲んで目覚める話である。これが琴線なのではないかと思う。

 欧米(くくりがちょっと雑だけど)では1960代からヒッピー文化が流行り、保守的なキリスト教カトリックの否定とその代わりになる新しい概念が必要とされたが、それが「人を超える」という妄想だと思う。ニューエイジガンダムで言うニュータイプ)では人は新しい可能性を持っており、何らかの方法で一段上の段階に上ることができるという概念だ。多くの人が可能性を信じた。CIAやKGBが超能力を調べたり、頭に穴を開けたり(トレパレーション)、精神科医がMDMAでラリッたり、禅で宇宙を体験したり、色々やったが具体的な何かを見出した人はいなかった。具体的な力を持った人もいなければ、具体的な一段上の世界もなかった。残ったものはムダ金で作った残骸と嘘つきと麻薬中毒者の山だったわけだが、それでもどこか「可能性」をいまだに信じる人がたくさんいる。

 この概念の残滓が彼らの文化にカビのようにこびりついており、それに光を当てたのがAKIRAなんじゃないかと思う。俺たちが見たかった、生きたかった世界の可能性を異国(彼らの知らない世界)で表現してくれたのだ。だからこそ、評価してくれたんじゃないかと思う。

 

王道ストーリーと異文化

 ヨーロッパ圏だとドラゴンボールセーラームーン、キャプテンス翼が有名だろう。東南アジアではドラえもんだろう。当時、日本のアニメが真新しいというのもあったが、それ以外子供が見るテレビ番組がなかったからともいえる。

 しかし、今の時代、映像作品は山のようにあり、どれを選ぶかはその幼児の親次第だし、少し大きくなればゲームやエロが目白押しなので、人気の衆寡はなかなか見えずらい。そんな中でも明らかにヒットしているものがある。

 例えば、NARUTOだ。週刊少年ジャンプの超人気作だが、線のしっかりした作画とドラゴンボール張りのアクション、少年漫画王道のストーリー(勇気・努力・勝利)は我々少年の心の中に入ってゆく。名作だ。集英社の海外展開と軌を一にしてヨーロッパを中心に数多くのファンを獲得したことでも有名だろう。

 では、なんで人気を博したのかを考えると、一つはドラゴンボール的な展開をみんなが求めていたんじゃないかと思う。強敵に勇気をもって戦い、敗れても修行して最後には勝つという作品は意外とない。なんとなく運命に導かれて勝っちゃうみたいなものが多い。神様的なあれがあれな感じであれするのだ。NARUTOドラゴンボールで馴染んだ漫画・アニメのストーリーラインにすっぽりとハマることで、それに理解のある10~40代の幅広い層に支持を得たんじゃないかと思う。なんとなく知っている・理解できる物語だったということだ。

 もう一つは「忍者」というカテゴリーなんじゃないかと思う。日本と言えば、フジヤマ、ゲイシャ、ニンジャなんてくそみたいなレッテルがあるが、ニンジャは日本の代名詞の一つになっている。しかし、実際の忍者とは何ぞやと聞くと知っている人は日本人を含めてあまりいない。つまり、なんか知っているけど、よくわからない謎めいた能力を持つグループという認識がニンジャになる。

 面白いのが、江戸時代の小説(読本など)で、すでにスーパーマン化(ジライヤや石川五右衛門)されているので、今更誰が好き勝手に書いても文句を言われる筋合いはなく、正しい像なんか既に存在しない点だ。この認識は物語を作るうえで重要で、「自分なりの忍者像」を勝手に作ってしまえば、それがみんなの知っている「正しい忍者」になれるのではないだろうか。

 つまり、王道のストーリーとみんなが知っている異世界フリーコンテンツにしっかりした今風の作画をつけることで大きな成功になったのではないかと思う。

 

まとめと感想

 自分が気付いたヒットしている作品を思い返すと、キャラにしろ物語にしろなんとなく読む人が理解できるバックグラウンドがあることが重要なんだろうと感じる。その上で、それをわかりやすくしたり、自分なりの工夫を加えることで多くの人に愛着を持ってもらえる作品になるのではないかと思った。

 もちろん、ヘルレイザーみたいなぶっ飛んでる作品も数多あるが、その作品群の中で人々の共感を得る作品はごく少数なので、書くのなら理解できるイメージを内包しつつ、自分なりの作品を作るのは大切だと思う。また、なろう小説や萌え絵のようにはっきりわかるテンプレを元にちょっとだけ味付けを変えても、その他多数の中で埋没するので、理解度の塩梅は難しいなぁと思った。

 

終わりに

 ぶつくさ書いたが自分なりの物語のヒントにはなるかなぁと思う。

 でも、空き時間の利用法として物語を作ろうかと考えているけど、果たしてうまくいくのか…なんて微妙な感じにもなる。

 まぁ、ぼつぼつやってみようかな(^ω^)

 

 

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