今年の冬は暖冬かな?と思ったら急に寒くなって雪が降る異常気象だが、我々の活動が本当にこの変化に影響を与えているのかSDGsから考えてみた。
(今週の一枚)そろそろ春かまだ冬か(マーガレット🌸)
急に寒くなったり、暖かくなったり体を壊しそうな天気だが、これが人間の経済活動が原因で起こっているならどうにかしたいと思うのは当然なことだ。そんな中でSDGsという言葉がメディアを賑わせていて、環境変化をどうにかしようというムーブメントが起こりつつある。しかし、巨大な惑星である地球の状態変化に小さな人間の行動が影響を与えることができるのだろうか?ちょっと考えてみた。
SDGsって何よ
子供のころ、テレビで恐ろしい番組を見た記憶がある。地球を覆うオゾン層が破壊されて危険な太陽な光が人間を焼き殺す!…みたいな番組だ。こういった地球滅亡物語は5年おきくらいに手を変え品を変えリリースされて我々を怖がらせてくる。フロンガス、光化学スモッグ、ダイオキシン、地球温暖化ガスなどなど、そのアイテムは多岐にわたる。便利だけど、その代償で色々危険な物質が出て、我々の地球を侵すそうだ。地球を救え、マザーアース!
このキャンペーンの最新のものが政府・企業間で話し合わているSDGs(Sustainable Development Goals, 持続可能な開発目標)に組み込まれているように感じる。
これはCOPから続く環境議論の中で、各国が行うべき17の目標を示し、それを評価するシステムになっている。
SDGsと経済活動
この目標がすべての国で達成できれば、地球を救いつつ経済社会が発展できるかというと、残念ながらできない。上記サイトに書いてあるような目標を読む前はお題目でも一応達成の暁には温暖化は止まる数値になると思っていたが、しっかり目を通すと理想値に届いても緩やかに変動は続くことになっている。…というか、目標達成項目も採点方式もめちゃくちゃなので、果たしてこの目標とその評価に意味があるのか誰にもわからない。そして、最も問題なのはこのテストの成績を金で買える点だ。
例えば、二酸化炭素を考える。化石燃料を燃やすことで我々はエネルギーを生み出す。その際、排出される二酸化炭素は地球温暖化に関わるとされ、その排出が規制されることになった。しかし、お金を払えば排出した量をごまかすことができる。この排出権取引はとても有名だが、その他の経済発展に合わせた「クリーン」な技術をプレゼントすると点数が増えたりするので、結局のところ、相対的な排出削減目標の値にはならない。
つまり、表面上、地球環境だなんだと言ってオブラートに包んではいるが、実態は株券や仮想通貨と同様の新しい商品を生み出し、それを売買することでお金儲けしようとする計画なのだ。賭場はヨーロッパ、出資は日本とアメリカ、プレーヤーは各国政府と大手企業というところだろう。
特にそれが顕著にわかるのはダボス会議でのエコシステムとビジネスを組み合わせた多くのプレゼンテーションだ。基本に環境保護を前提としたクリーンなシステムを発表し、それをつけた機械や商品に価値を見出そうとしている。ちょっとでも環境がよくなればいいよね、というのがSDGsの実態ではないかと思う。
そういった視点で見ると、SDGsバッチをつけている奴らが胡散臭いのも納得できる。
SDGsと電力
では、多少なりとも環境に良くなると考えられた環境ビジネスが実際にどのように我々の生活を変えようとしているのかを見る。
論点は2つで、1つは環境を汚さない経済発展で、もう一つは電力消費構造の変化だ。
1つ目では、火力発電を前提としている我々の社会構造を変化させ脱炭素社会の実現を行い、発電によって生じるガスや廃棄物を減らすエコ社会を作る試みだ。
元々の案では原子力発電によってそれを補おうとしていたようだが、日本の東日本大震災と原発事故により、その案は消し飛んだ。東芝がアメリカ原発企業を強引に買ったのも、こういった流れがあったからだろう。
これの代替えとなる案は存在せず、風力や太陽光発電を強く推すことでそれっぽく体裁を保っているが、実際はうまく機能していない。ロシアが戦争を起こして天然ガスの供給が減った途端、ヨーロッパ電力価格が倍以上になったことからもわかるだろう。あくまで自然エネルギー系は補助的な位置づけであり、何十年もかけて徐々に変化できればいいよね程度の代物だ。
2つ目では、小さなその場ごとの発電を止め、中央で発電したものを送電や電池を使う中央集権的な電力供給しようという試みだ。
一番わかりやすいのが自動車で、ガソリンエンジン車から電気自動車(EV)へ変わっていこうという試みになる。この流れに乗ったアメリカのテスラや中国のBYDが爆発的な数のEVを作った。政府主導で補助金を出し、世界中に安価で未来的なEVを配布することになった。
しかし、これらの施策は失敗の淵に立っている。原因は補助金の打ち止めとガソリン車と比べてEVがあまりにも脆弱であるからだ。つらつらと調べる必要もなく、電池の充電能が自動車を動かすには貧弱であり、各所に充電ステーションを設置するなどのインフラ整備も進んでいないため、補助金がなくなってお試し期間が終われば多くの人が乗るのを止めてしまったのだ。
つまり、持続的発展を目指して行った多くの施策は大量のごみの山を生み出す結果になり、一時的な経済効果を得るに至ったが、中長期的な発展にはむしろ負の側面を見せる結果になった。
SDGsと地球温暖化
経済的にも、社会変革的にも、ビジネス的にもいまいちな状態であるSDGsであるが、地球温暖化をどうにかしようという考えは共感する人が大多数だろう。最近の異常気象、特に気温の上昇はいい加減にしてくれとげんなりする。
では、その気候変動や温暖化は果たして二酸化炭素が大部分を担っているのかというとかなり微妙だ。そもそも、地球が暖かくなるのはなんらかの方法で生まれた熱が宇宙に放出されないから起こる現象だ。この温暖化を穏やかにする方法は当然、熱を出さないことが第一優先されるべきである。つまり、電気を作らないことこそ最も熱を生まない点で重要であるはずだ。
太陽光発電や風力発電、原子力発電にしろ、何らかの物理的変化をエネルギーに変えている。すべての変化を電気エネルギーに変えることはできないので発電の際、熱となって周囲にばら撒かれ、温暖化する。
太陽光の場合、パネルは異常に発熱するし、風力は摩擦熱で発火するし、風をエネルギー化することで周囲の循環を切り部分的な放熱点を作る。また、原子力は熱量が多すぎ、炉を冷却する際に大量の排熱が周囲を常夏にする。
つまり、もし、二酸化炭素が保熱のキーファクターだったとして、減少させたとしても、主原因である熱の放出を止めないことには温暖化は止まらないだろう。
もう一つ気になる点は、果たして我々が生み出す熱だけが地球を暖めているのかという点である。例えば、突如人類とその発熱機械群が消滅したとしても、地球は冷えない。熱エネルギーの多くは太陽の核融合から起こった太陽光と地殻のマグマから発せられる熱によって生み出されているからだ。
地球には非常に多くの水が存在し、それが熱の出し入れのバッファーになっているので、そう簡単に温暖化したり寒冷化しないようになっている。二酸化炭素も海水に溶解して大気中濃度がこれ以上上昇するかは疑問だ。
また、人間主体かどうかを脇においても、ここ最近の温暖化・気象変動は明らかに変である。特にバッファーとなるはずの海水温が地表温度上より先にガンガン上昇している。南にしかいない魚が北の海に群れを作っていたり、世界各地で火山が爆発したり、新しい島が生まれて、地震が群発している。
つまり、人間が作る熱源とは別の発熱源が我々に襲い掛かっており、本当に今の気候変動が人間によるものなのかよくわからない。
ではどうするか
まぁ、ぐちぐち言ったが、これは拙い個人の仮説である。これを証明するには人間が一斉に電気を使うことを辞めるしか証明しようがない。ナンセンスだ。では、仮に、人間の経済活動が温暖化の一部を担っているとして、電気を使いつつそれを妨げるには人間の数を減らすしかない。どんなに熱効率を上げても電気を使う限り熱も出るからだ。しかし、アフリカや南アジアを中心として人口は爆増しており、どの辺がピークかわからない。また、我々が信奉する資本主義の経済成長は人口増加が大前提となっており、お金の量や流れが加速することこそ幸せであるということになっている。
これをまとめると、持続的に成長しつつ使用エネルギー量を減らすためには一人一人が毎年めちゃめちゃお金持ちになって、人間の数を少しずつ減らす必要がある。技術発展をしつつ、みんなが勉強をし、勤勉に働き、みんな高齢化して子供を産まないようにすればいいのかもしれない。理詰めにするとデストピア、共産党や全体主義が支配する気味の悪い世界になる。
少なくとも今のスタイルの生活を続ける限りSDGsは成立しないのだ。
つまり、我々ができることはカリカリせずに「普通に生活すること」しかないと思う。無理にお金を稼ごうとしたり、暴飲暴食したり、夜中までゲームしたりと、必要以上に欲望をかかなければ電気を使わない。
朝、日の出と共に起きて、夜、日が沈むと共に寝るのだ。
終わりに
感覚的に環境変動はやばいと思うが、いくら調べても環境系は結局金儲けの種にしか見えなかった。本質的には人口増加と一人当たりの電力消費が多すぎることが問題なので、SDGsは全くの見当違いなのだと思う。
まぁ、個人のできることは無理せず生活し、つけっぱなしの電球を気づいたら消すぐらいがちょうどいいのだろうね(^ω^)
☆エロ同人CG販売中