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1週間に1記事を目標にして、考えたことや描いた絵について書いてます。

写真から見て絵を考える(1)

写真を撮る機会があるので、それを絵に生かせないかなぁなんて思う。そこで、今回は写真から見て絵をどうすれば栄えるかを考えてみた。

(今週の一枚)もう春か?(ビオラ🌸)

 

 な~かなか、まとまって時間が取れない。ニッペルフの活動にかなり支障が出ている今日この頃。ちょっとずつ絵を描いたり、頭の片隅でプロジェクト計画を進めているけどいまいちだ。そんな中で、自宅の庭でカメラの起動・動作確認のために写真を撮っていたのだが、それを見ていると絵に生かせるんじゃないかなぁなんてことがあった。

 そこで、いくつかの写真を見て、絵の印象などに生かせるかもしれないと思った考察を書いてみようと思う。

陰影と強弱

 (なんてことはない空を撮った)

 背景の絵を描いていると、雲を持つ空やその光陰をどの程度描いたらいいのか迷う。

 影を強くして絵を描こうとした際、夕方とか朝日のように強い光のイメージが前提として、その対比として絵全体に陰影を描いていた。影の強さが10なら光の強さ10にしないと整合性やうまい対比ができないものと思っていた。差し引き20の差があることで強い陰影が生まれ、強いインパクトを作りたいという思いもある。

 しかし、この写真を見ると、空は少し曇り気味の穏やかな日差し(太陽部は光10だがその他は3~5と仮定)だが、暗いイメージはない。むしろ、空の明るさが目立つように感じる。これは空の明るさを地上のオブジェクトの影(強さ10)が強調することで印象を作っているのだと思う。

 写真全体で差し引きの明暗差が統一されなくても全体に明暗差があるように見える点は非常に意外だった。全体に同じような影の強さと同じようなコントラスト差が必ずしも印象度に繋がらないという点は発見だ。

 一方で、よくあるキャライラストでは、キラキラ、ピカピカした効果をこれでもかとつけることで作品全体を明るく、目立つものにしている。この描き方は一見華々しいが、明るさの落差がないので予想したよりも目立たないケースが多々ある。影の強さが0で、光の明るさが20の場合だ。明暗差があっても逆に印象が薄くなると言える。

 

 ここから考察するに、バランスの良い明暗差というものがどこかにあるのだろう。そして、光源に対して同程度の影部の強さは必要かもしれないが、それはあくまで引き立て役の補助であり、それ以外の部分はあまり強く明暗差を作らないでもよく、これによって見せたい部分を普通の明暗差にしても光源とその影を作れば、絵全体として明暗差があるように絵を描けるのかもしれないと思った。

 

水滴のイメージ

(雨の日の庭先を写したもの)

 日よけの布を伝って水滴がポタポタと垂れているシーンであるが、自分が今までイメージしていた動きのある水滴や雨とは異なることが分かった。

 自分の中の雨のイメージは常に動いているもので、上から下へと運動している動体の群れであると思っていた。しかし、実際の水滴・雨粒の動きは同一のものではない。まぁ、当たり前の事実なんだけど、写真で見ると気づくものだ。雨粒のまま空気の中を動けば自由落下するし、布の平面を伝えばゆるゆると動くし、布の縁に到達すれば塊を作り、表面張力が限界になれば再び落下を始める。つまり、水滴は環境によってさまざまな態を持っており、表現を広げようとすれば色々な水滴の表情を作ったほうがそれらしいものが作れるのではないかと感じた。

(マーガレットを水滴をつけたものとそのまま写したもの)

 そこで上の写真を比べてみる。上はシャワーで水をかけたもので、下は引きでそのままのお花を撮ったものだ。

 どちらも動きはないが写真の中の立体感や印象度は上の写真になるのではないかと思う。先ほどの布と雨の写真よりもこちらは上下どちらも静的な印象を得るが、水滴があることでこの先の変化や周囲の環境の予想をすることができる。

 つまり、水滴はそれ自体が存在感を持っているだけでなく、それが動いたり、蒸発したり、何が水滴を出したのかなどの考える余地を絵に与えることができるので、作品の幅を作ることができるのではないかと思う。この「水滴がある理由」によって、絵に前後関係を作れるし、さらに水滴に動きを作れたらその幅は広がるのだろう。

 もちろん、その他のギミックやアイテムを加えることでも同じように作品の幅を追加・補助することはできると思うが、身の回りにあり、どこにでも利用できるものは意外と少ないので、うまく水滴を使うことで生き生きとした表現を作れるのではないかと思った。

 

ボケと情報量

 写真でボカすというのは、焦点部以外の情報量を減らすということになる。1枚の写真において部分的な情報量の多寡は写真の印象をぐっと強くしてくれるが、そのバランスはなかなか難しい。それをどう絵に応用するかを少し考える。

 (花壇の端に咲いていた雑草の花)

 構図としては非常にシンプルであり、中央に小さな花があり、頑張って咲いている。その他の部分はボケており意識がお花に向くようになっている。

 純粋にお花を見てもらいたいと思えばこういったシンプルなものにした方がいいと思う。焦点がお花にあっており、その他のオブジェクトや背景はぼんやりとしてほとんどわからない。最低限、その辺にも草や壁があるんだろうなぁと情報量を絞ることができるので、言いたいことがはっきりするのだろう。

 (もさもさ咲いているビオラ群の中で一つのお花に焦点を当てた)

 先ほどのものと違い、写真の中にいくつもの花や葉っぱがあってゴミゴミしているが、焦点を絞ることで中央のお花のみに視線が行くようにしている。2つの写真は同じように情報が絞らているが、先ほどの写真よりも背景などの周辺情報が多くある状態になっている。

 

 この対比で大切なことはどちらがきれいかではなくて、情報量をどう扱えばいいかという点だと思う。どちらもお花以外はピンボケとなり、周辺情報は減るが、見え方はだいぶ違う。ほとんど周辺情報がない中での花と、それと比べ多くの周辺情報がある花であると言い換えられる。

 上の写真だとあまりにもシンプル過ぎてさみしいし、下の写真だとごちゃごちゃしすぎて窮屈だ。ぼかすことで周辺情報を減らしても、多少なりともその周辺情報は必要であり、その塩梅によって写真全体の印象がずいぶんと違うことを示している。

 絵を描く場合はある程度作者の意図が必要となってくるが、強い主張がある場合は上の写真のようにシンプルにして少し寂しいくらいがいいし、ぼんやりとした印象や見る側にイメージをゆだねるなら下の写真のようにした方がいいのではないかと思う。これは主張の強さ(与えたい情報)が周辺情報によってノイズにもなるし、補助にもなるからだ。

 中心部の主張をしっかり描くとしても、その周辺部の情報量はぼかしつつも主張の強弱によって差し引きすることを考えたほうがいいと感じた。自分の描き方は色々なものを入れてじっくり見せようというものだが、強い意図(例えばキャラの感情の高まり)を中心にするなら、あえてその他は削ってみるのもありなんだろう。

 

終わりに

 ぶつくさ言ったけど、やっぱり絵に中心があって、それを飾るなんやかんやがあるのかもしれないのだろうと思った。

 …と言いつつ1か月以上新作を出していないのもまずいな(;´Д`)

 

 

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