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1週間に1記事を目標にして、考えたことや描いた絵について書いてます。

写真から見て絵を考える(2)

前回に引き続き、撮影した写真のイメージを絵に生かす方法についての話。今回は写真から見て絵の表現をどうすればいいのかを考えてみた。

(今週の一枚)春ですねぇ(咲いた🌸)

 

 時間が取れず、手が動かない状態が続いているけれど、まぁあれこれやりたいという欲はある。イメージをアウトプットする際にかっこよさや目立たせ方を思い描いたり、上手な人の描き方を真似しようとするけど、写真から実物を見た際には意外と意識しなかった表現がある。

 そこで今回は実際にあるものをちゃんと見て、気づいたことを書いてみようと思う。

 

目で見たものが本当の姿か

 人が見たものとカメラのセンサーがとらえたものは違う。これは純粋に眼の性能がレンズやセンサーよりも劣る点もあるが、脳みそで勝手に見えているものを書き換えているからである。

 例えは、下の写真だ。

(ある日の三日月の写真)

 何のことはない夜空に在る月の写真だ。しかし、この写真を見ると我々がイメージしている月とは大きく異なる。

 ご覧になってわかるように、三日月のくせに見えない部分がない。欠けている部分も薄く色がついている。ちなみに、目で見るとこの月はいつもの三日月で欠けている部分は当然黒い。

 物理的な事実を考えると、地球が陰になって太陽光が部分的に当たっているが、実際にある月はまん丸で常にそこに在るのだ。太陽光がどう当たろうが、実際の月はちぎれて欠けることはない。ただ、地球から見ると光の加減で見え方が違うだけであり、その見え方も感度の高いセンサーと使うとやはりまん丸く見えるのだ。実存としての月と、我々の目が写す月と、我々の記憶にある月と、高感度センサーが写す月は異なる。

 

 では、絵を描く際にどんな月を書けばいいのだろうか?

 目で見たとおりに描くならよく描かれる三日月でいいだろうし、センサーが見せる月を描くなら、人間よりも目がいい生き物が見る世界を感じることができる。大切なことは月はあくまで夜としてのアイコンであり、「これが月」とわかればいいので、その印象から作品のイメージを発展させることが大切なんだろうと思う。

 実際に見える月でさえ、方法によって見え方が変わるのだから、絵で描く月はもっと自由に描いてしまえばいいのだと思った。

 

どの角度がどういった意味を持つか

 庭の山椒の小さな木に芋虫がいた。せっかくなので色々な角度から写真を撮ってみると、見える方向で印象がだいぶ違う。

(色々な角度から見た虫) 

 斜めから見ると、けっこうグロい。模様がついていて頭がいかつい。でも、下から見ると木の枝にいくつもの小さな足で必死にはっついて意外とコミカルだ。正面から見ると、意外と頭でっかちで、足と頭がアンバランスで間抜けに見える。

 つまり、一つの生き物でさえほんのちょっと角度を変えると全く見え方が異なり、当然、その印象が大きく異なっている。

 虫でさえイメージが変わるのだから、キャラクターのイメージを練る際、いくつかの側面(性格や考えは一様ではない)を考える際、それを印象付ける見せ方があるのかもしれない。しかし、実際にそれを描く際には、その見せ方やそれから表出する感情は決まった表現になることが多い。表情を変えたり、エフェクトを入れたり、大きく身振りを作ることでそれを表していると思う。

 例えば、怒りの表現は眉毛を吊り上げたり、怒りマークを書いたり、腕を組んだりするだろう。しかし、人間が怒るときはそういった表現を示さない。無表情になったり、突然襲い掛かったり、無視をしたりする。

 つまり、例えで出した表現はあくまで漫画やアニメの中でのもので、もっと怒りを表現するとしたら、別のアプローチが必要なのだろう。

 ここで虫に戻ると、見える角度を変えただけで印象がずいぶんと変わる。これは我々が描こうとしているキャラクターの表現でも使えるのかもしれない。楽しい時は上を向かせてキャラを真上から描いて解放感をつけたり、怒りを示すならあえて顔を描かずに指をトントンしたり、握りこぶしを描いてもいいかもしれない。

 それぞれの感情や印象に合う角度があって、それをうまく描ければ豊かな表情を作れるのかもしれないかと思った。

 

知っている色は正しい色か

 春になり庭の花が咲いた。もう暑いくらいで、水の渇きも早い。そんな中で、パッと咲いたお花を見ていると、色について意外に感じることがあった。

(8分咲きのラナンキュラス

 赤い花と聞いてどんな色を想像するだろうか。紅を意識した唇の色、血のように少し黒い赤などなど、色々なイメージがあるだろう。このイメージは人によって違うし、そのイメージも何種類もあるかもしれない。

 しかし、実際のお花を見るとちょっと違う。上の赤い花をまじまじと見ると、色が混じっている。花びらの基礎骨格の色(おそらく白)と色素の紅と劣化した色素の色(オレンジ)が混じっている。上の写真の蕾は十分に色素が上がっていないので、白い部分や赤い部分が点在し、右の満開の花(ちょいピンボケ)は多くが紅色だ。一方、中央の花は紅とオレンジ色が交じり合って、独特の風味を出している。

 つまり、その花が作り出せる色、色素が一種類だとしても、花の色は刻一刻と変化し、部分的にも一定ではないということになる。赤い花はまっかっかのものもあるかもしれないが、自然に見える赤い花はその赤を栄えさせる工夫がそこここにあり、その工夫を真似できれば、より赤い色を印象付けることができるのかもしれない。

 もう少し言えば、一色で花の色を定義することはできず、生き生きしていれば色素の色が強く出るし、終わりが近ければその色は少し褪せる。その割合を調整することで花の様子や印象を弄ることができるのだろう。

 簡単に表現する方法を考えると、描きたい花のメインの色を決めたら、その色より少し色相が異なる色をサブで持っておき、部分的にその色を添えることで実体感のある花やその割合を変えることで表現の幅を広げることができるのではないかと思った。

 もう少し踏み込めば、赤い花を描くとしても、赤をメインの色として場合、その赤を栄えさせるためのサブ色は赤に近い色である必要なない。極端なことを言えば、青色を赤に混ぜるように使えば、より強く赤を意識させることができるし、影として青を使えばかなりきつい赤を発生させることができて、独特の画風を作れる可能性もある。

 

まとめて

 前回からいくつかの写真を見ることで、実物をただ見るだけでも意外と発見があった。これは自然に存在するものが物体であれ現象であれ非常に複雑であり、それ観察するだけでも絵を描く際に単純化し過ぎていたことがわかった。これは良い意味でも悪い意味で発見(知らなかったこと)に繋がったのではないかと思う。

 正しい描き方なんてものはないが、自分らしい描き方なんてものがあるのかもしれない。それは自分が頭の中でイメージしたもののアウトプットなのだけど、インプットを増やすことで意外とその「らしさ」が豊かなものになるのかもしれないと感じた。

 

終わりに

 観察はほどほどで、さっさと絵を描けよ…という話になるんだけど、カメの進みで少しずつでも描いて行こうと思う。まぁ、まずは一歩一歩ということで( ^ω^)・・・

 

 

 

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