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1週間に1記事を目標にして、考えたことや描いた絵について書いてます。

ヴィーガンは本当に悪なのか

ネットを見ると「ヴィーガンはヤバい人だ」というレッテルがあるが、本当にそうなのかを考えてみた。

(今週の一枚)お掃除お掃除(たぬ~)

 

先入観と出会い

 先日、ヴィーガンニズムの人と会う機会があって、色々と為になる話が聞けた。その人はとても穏やかで好印象であった。しかし、ネットで「ヴィーガン」と検索したり動画やSNSを見ると、偏屈で少し頭のおかしい人みたいなレッテルが張られている。自分はたまたまいい人に出会えただけで、その他大勢はキチガイなのだろうか?

 正直に言うと、自分も実際のヴィーガンの人と話す前は少し構えて対応をした帰来があり、気に障ることが発言したら唾を飛ばすようにぶちぎれられると思っていた。しかし、全くそんなことはなく、むしろ申し訳ない気分になった。

 確かに、少し疲れやすい感じの人だなぁとは思ったが、それ以外は普通の人と特に変わらなかった。食に関してストイックな人なんだろう。情報と実情に強い齟齬があり不思議な気分になった。そこで、彼らがどうしてアホみたいな扱いをされているのか考えてみようと思う。

 

メディアに出るヤバい人

 ヤバい人はどこにでもいる。普通に話していても急に怒りだす人や、あからさまに態度を変えたり異常行動をする人だ。個人として付き合いをするならまだわかるが、ビジネスや情報のやり取りなど、感情を入れてはいけないシーンでそれをやられてしまうと、自分たちだけでなくその背後にいる人たちにまで迷惑がかかる。そういった利害を無視して自分の感情を優先してしまう人はどこか精神に問題があるのではないかと思う。

 こういった変な人はボーダー(障碍者と健常者の境界にいる人)だったり、強いストレスでギリギリな精神状態の人など様々だ。ただ、そういった状態の特徴はわかりやすい。行動の抑制ができず体のどこかが動き続けたり、ちゃんと受け答えができないなどの特徴がある。そのため、ちょっと経験を積むと、「こいつは注意だ」という感が働くのである程度は距離を取って対応することができるだろう。

 テレビやメディアに出るヤバい人の多くは上記のヤバそうな行動の模倣をする役者の場合が多い。ある属性の演者に対して視聴者が文句をつける隙を作り、視聴者の興味を引く番組構成だ。例として、日本のテレビならアキバ系おたくやおかま(ゲイ)なんかがパッと浮かぶ。「本物」を呼んでしまうと番組が破綻するのであくまでショーの一環にするための配役なのだろう。

 さて、ヴィーガンの場合にも同じようなレッテルを張ろうとしているようだ。ヴィーガン役の演出は、不安定・落ち着きがない・自分勝手・会話が成立しないなど精神障碍者のそれだ。特徴的な仕草をするおかしな人を見世物にする番組が作られるように思う。

 分かりやすい実例として、Youtubeヴィーガンと検索すると、活動家の頭のおかしい行動とそれを揶揄する一般人対立の動画が多くヒットし、このイメージが急速に拡大していることがうかがえる。

 つまり、ヴィーガンがおかしいという印象の多くは一部の活動家による異常行動がピックアップされ、さらにメディアでそれを誇張したもの(偽物の演技)だと伺える。実態とはかけ離れた虚像が作られつつあるようだ。

 

ヤバい活動団体とヴィーガン

 イメージの元となる活動家は仕事として活動をする。仕事であるため賃金が発生し、それを支払う依頼主や支援者がいる。彼らにとって活動とは支援者に向けたショーであるともいえる。このビジネスを続けるためにはより多くの金銭が必要で、多くの支援者や大口のタニマチが必要となる。表現としては過激となり多くの人の耳目に接する必要が生じ、同時に多くの人に不快な思いをさせる。

 これによって、一方では多くの支援を得るが、もう一方ではより多くのアンチ・反対者を生むことになり対立の深化を生む。活動家の対立をより大きくすることは利害関係と活動拡大を考えると必然的に起こる事象で、目立てば目立つほど、反対が大きければ大きくなるほど金を生むためである。

 特に大口のスポンサーがつく場合はこの対立は拡大する傾向があり、国や王族や貴族、セレブと言われる金持ちがタニマチとなると彼らを喜ばせるために思想信条を捨てて活動家が大騒ぎすることが知られている。

 例えば、グリンピースと中国政府やアメリカセレブ、国境なき記者団ソ連KGBアメリカCIA、地球温暖化活動家とサウジアラビア王族や石油王の孫なんかが有名だ。

 ヴィーガン活動家も当然その範疇に入る。有名なところではイギリスのAnimal Rising(Animal Rebellion)は非常に過激な活動で知られるが、活動員の多くがビーガンではない。彼らは環境活動家団体Extinction Rebellionのセル(分派)であり、緑の党と強い繋がりがある団体だ。緑の党極左活動団体の政治組織であり、旧ソ連の西側工作組織の後継となる。資金の流れはロシア圏を前提に考えればいいだろう。陰謀の臭いがする(笑)。

 また、非常に面白いのが旧西側各国の偉い人達は明らかに金の出先がわかっているのに彼らを見逃している点だ。旧西側では、彼らの主張を利用して「環境のため」に太陽光パネルを売り、EVを促進し、炭素税取引を作った。環境活動を金儲けにつなげたのだ。もちろん、これら無理なエネルギー政策の変更によって環境は破壊される。さらに、これによって生まれる利益を見込んで過激派活動家に向けて各種企業も支援をする形になっている。環境保護活動をすればするほど環境は悪化するというは滑稽な話だ。

 つまり、各種過激派活動は表面的目的を達成しようとせず、金主から命令された分断や社会不安を醸成することを活動の実際の目標とし、その分断を使ってヨーロッパの支配者(金持ち)たちが自分たちの都合のいい社会に変えようとしていることが考えられる。

 簡単に言えば、金儲けに悪のヴィーガンというイメージが利用されているのだ。

 

ヴィーガンは本質的に悪いのか

 話半分でも活動家やその支援団体は胡散臭いことこの上ない。動物の権利と言いつつ動物をリンチし、環境保護と言いつつ汚物をまき散らす様は異常に映るが、偽ヴィーガンに別の目的があると思えば納得もいくだろう。それがわかれば、本来の思想は同じようにヤバいとは言えなくなる。心情的だけでなく本質的に正しい可能性はあるのではないだろうか。そこで肯定的にヴィーガニズムを考えてみる。

 ヴィーガンを否定する人は肉食を肯定している。自分の趣味嗜好をああだこうだ言われるのは腹立たしいのだろう。しかし、日本における仏教的道徳では不殺生戒(生き物を殺しちゃダメ)を前提としているものが多いし、伝統的な文化として肉食を忌避する風習がある。現代においても我々は人を殺しちゃだめですよと強く教えられている。でも、血を見て卒倒する人も肉を食べるのだ。これは矛盾だ。他人が殺した生き物を食べて平気な顔をしている。つまり、我々日本人は毎日罪をどこかの誰かに押し付け欲望のために不徳を積み重ねているのである。五戒を論じるまでもなく、論理的にはおかしいダブルスタンダードだ。

 また、肉を食べることは栄養のバランスとしていいことだと言われている。たくさんの肉を喰い体を大きくしようとしたり、日本では油ギトギトのA5の牛肉を珍重している。しかし、栄養学的に言えば、現代の食生活においてタンパク質(アミノ酸)を取り過ぎており、一日60g前後取れば十分なのに肉だけで倍以上摂取している。純粋に欲望を満たすためだけに肉を食って不健康になっている。まったく「いただきます」の精神とはかけ離れた生活をしているのだ。

 さらに、日本における牛や豚や鶏などの畜産飼育環境は最悪で、小さな檻に一生閉じ込め、時期が来たら殺して肉を「生産」している。もし、自分のペットが同じようにされたら発狂する人はたくさんいるだろうに、自分の食べる肉の元には地獄を味あわせているのだ。また、家畜数の増加は大量のメタンガス発生を誘発し、今騒がれている二酸化炭素による環境影響以上に地球温暖化を引き起こすだけでなく、飼料の大量消費は食糧価格の高騰を誘引し、途上国の食物需要を圧迫している。

 つまり、まじめに「肉を食べること」を考えると、経済や欲望を除き、我々はどの視点から見てもおかしなことをしており、最近はやりのSDGsから見てもveganismには一定の理解と価値があってしかるべきなのだ。

 

じゃあどうするか

 変なレッテルを張られない限り、どんな思想信条もそれなりの価値がある。しかし、それを他人に向かって極端に騒ぎ立てる人間は、異常者か別の目的のあるヤカラである。

 そして、こういった主義を本当に浸透させたいなら、やるべきことは決まっている。

 一つは過激派との決別である。過激派の目的は対立を引き起こすことで問題の解決が目的ではない。できる限り自分の周囲からこういった連中を排除しないと自分自身とその心情に傷がつく。

 一つは対立者の肯定である。子供に〇〇しないとおやつあげないというと泣き出すように、人は感情や行動を否定されると興奮する。興奮するとどんなに正しいことでも理性的に問題を捉えられない。逆に、子供に〇〇してくれてありがとうと言っておやつをあげると感謝とおやつと行動が結び付きいうことを聞く。もちろん賞罰のバランスは必要だが、理解者や少なくとも中立者を増やすことで思想はゆっくりと広がる。

 人はそう簡単には変わらない。馬鹿は死ぬまで馬鹿だし、嘘つきは最後までウソをつき続ける。肉を食うやつは最後まで肉にかじりつくだろう。必要なことはその習慣を少しずつでも変化させることであり、その子や孫に思想を伝えることが重要なんじゃないかと思う。

 100%肉食を辞めるのはうまくいっても何代も何十年もかかるかもしれないが、そうして初めて当たり前の社会になるんじゃないかと感じた。変わった思想を誰もが知る当たり前の常識にすることで、本質的な社会変革が成し遂げられるんじゃないだろうか。

 

終わりに

 世の中にはいろんなことを考えて行動する人がいるんだぁと思った。そして、自分の思想は必ずしも正しくはないのだろう。自分は牛丼が好きだけど、週一食べるそれを月一くらいにするのはできるかもしれない。いずれにしろ、楽しくご飯は食べたいなぁと思った(^ω^)

 

 

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