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1週間に1記事を目標にして、考えたことや描いた絵について書いてます。

辞める辞める小話

最近、知り合いがよく仕事を辞める。どうも我々がイメージする職業と内側はだいぶ違うようなので、忘れないように書いておこうと思う。

(今週の一枚)魔女のお家(pixiv

 

 内実が結構違うものをピックアップしてみた。出所がわかると困るので、ものすごくあいまいして情報を混ぜて書いた。話した人にはたどり着けない小話なので、創作の一種として読んでもらえれば幸いです。

 

仕事をしない忙しい官僚

 大学で同期だった友達は頑張っていたけど、皆辞めてしまった。ポストが徐々に減る職業は肩たたきがあるから、年ごとに人数が減るのはしょうがないけど、全員いなくなったのは意外だった。

 巷で言われている辞める理由は、野党への国会対応、自分に裁量権がもらえない、職業に将来性がないと言ったお堅いものばかりだ。しかし、まぁ、本当にそんなかっこつけた理由で辞める奴らなら公務員なんかにならない。

 では、実際に彼らに話を聞くと、実際はもうちょっとモヤっとしたものが原因なんじゃないかなぁと思う。

 

 飲みながら聞いた「例え話」をする。

 入庁1年目の下っ端は毎日鍵開け・鍵かけの仕事がある。場所は仕事場と別棟の一室(空室)だ。毎日、移動に30分くらい必要で、とんでもない時間の無駄だ。

 一応、曰くはある。かつて、その部屋は重要書類の保管室で、限られた職員以外は入室禁止だった。しかし、省内にフリーで新聞屋が入れる時代に、ある記者がこっそりその部屋から重要資料の情報を盗み出していた。その情報を使って、外国の政治家が交渉を有利に進め、日本の大臣や次官が大恥をかいたことがあった。本来は大ごとであるが、事は内密に処理された。

 …ということで、この部屋には特にカギをかけることになったわけだ。そして、時が経ち、新聞社は自由に省庁に出入りできなくなり、資料室も別室に移り、形骸化した仕事だけが残り、今日もカギが締まるのだ。

 申し送り、報連相の不備で起こった不幸だけど、誰もそれを正せない。「慣例」だからだ。 

 

 今の職員達には本来業務だけでなく、こういった何の意味もない仕事「慣例」が大量にあり、多くの人がパンクしているそうだ。要領のいい奴なら適当にサボれるが、難しい試験を通ったエリート(笑)にはそういったズルはできないんだろう。

 働き甲斐とか、将来性みたいな本来業務の不満より、もっと低いレベルのあほ臭さで辞めているのが実態なんだろうなぁと思う。

 

 …まぁ、辞めたところで金持ちになったり、いい生活をしているなんて話はあまり聞かないので、本当につまらないんだろうなぁ。

 

草を抜く先生

 聖職者なんてかつては言われていた学校の先生のお仕事は今やブラック職として有名になった。問題児の対応、モンスター親の捌き、日々変わる子供と社会の関わりなどなど問題はいっぱいだ。人を育てるというのはただでさえ大変なのに、たくさんの子供を日々管理しなくてはならない仕事というものには頭が下がる。自分にはできない。

 自分の周りにも頑張っていたやつがいたが、この前辞めた。学年主任になって、後は順調に校長かぁなんて思っていたらドロップアウトである。

 

 やっぱり、人間関係や重圧に負けて我慢の限界が来たのかと思って聞いたら、そういうわけではなかった。むしろ、児童のためにそれこそがやりたかったのだそうだ。

 では、なんで辞めたかというと、雑務と講習・研修会が原因らしい。

 雑務というのは門の開け閉めや雑草取りやプリントの印刷や各種活動準備など学校生活・維持管理で絶対に必要だけど、生徒に直接かかわらない仕事だ。しかし、教師がやる必要のない仕事のことだ。これは昔は校務員であるとか、補助教員などそれ専用の職員がいたけど、彼らがいなくなって教師がやらざるを得ない状況から生まれた。

 講習会というのは日本各地で問題が起こるとそれを精査して教師に情報を共有しようというものから、教育とはこうあるべきだというものから幅広く存在する。公式勉強会みたいなものだ。本来は教師自身が自分の足りない技術や必要とする情報を得るために自由に受けるものだったけど、いつしかそれが義務化され、必要としないのに勉強する羽目になったのだ。特に「教育とは~」みたいなものは非常に思想が偏っており聞くに堪えないものがあるらしい。たくさん独立行政法人があってジジババが色々やっている。

 

 つまり、必要な技術や仕事はあるんだけど、取捨選択ができず、また、それを担う職員がおらず、現場に残された教師がそれを被る状況なのだ。誰かの自己満足を満たすために駆り出される先生は大変だろう。悪い言い方をすれば、将来のある児童の世話をする代わりに、頭の悪いジジババの世話をするのが嫌になったと言い換えられるのかもしれない。

 児童教育しているのに気づいたら老人介護をしていたから辞めたというところだろう。

 

よくしゃべる研究者

 自分はアカデミックには足が向かなかったが、今も頑張っている奴らはたくさんいる。フィールドワーク、デスクワークに関わらず、やりたいことを仕事に変えて働き続けるのはどこか苦痛を伴う。また、遊んでいるようで結果を常に求められる姿を見ると、きついんだろうなぁと思う。

 自分は理系のおっさんだからその周りもむさい理系おっさんが多い。研究者の彼らは毎日12時間以上研究室に缶詰めで休みなく研究をしないと、多くの場合、世界各国の競争に負けてしまう。そのため、寝る時間を削り、休む間もなく何かを思考し続ける研究者が多い。完全に労働基準法違反なんだけど、遊びと仕事の境目のない生活は成果主義の極致にあるため、誰もそれを止めようとはしない。

 しかし、大学の教授や独法の上級研究者にもう少しでなれそうなやつらが次々と脱落していった。あぁ、きっと競争の激しさ、見通しの暗さからギブアップしたんだろうなぁと思っていたらそうでもないらしい。

 

 話を聞くと、「しゃべり」がきついらしいのだ。

 地位が上がり、研究資金が増えるほど研究成果を要求される。しかし、そう簡単に結果は出ないし、研究成果の答えは一つではない。そこで彼らは何をするかというと、コネを使って金を引っ張るか、嘘ぎりぎりの新着アイデアを書き連ねるのだ。もっと地位が上がると、それが極端になり、できもしない未来を語るSF小説家みたいになる。

 しかし、ここ10年でこの悪癖はさらに歪み、国からわかりやすい解説と短いスパンでの成果を求められるようになった。

 つまり、今たくさん研究資金を持っている研究者は小説家か嘘つきということになる。もちろん、彼らは一生懸命やっているが、どう見ても実現しない未来予想を語られてもモヤっとする。1を10に盛るならまぁねぇそうかも…となるが、1を1000にされたらさすがに怒るだろう。

 しかし、多くの一般人は小難しい科学の用語なんて知らないし、興味もない。そういった人を納得させるために、1000を如何にも本当らしく語れるかどうかで今度のポストが違ってくるらしいのだ。そのため、多くの時間をそういった説明とその準備に使われ、本来の研究ができなくなるらしい。

 

 現状で、ほぼすべての研究者にこの「盛り」が要求されているため、しゃべりが下手な人間は端に追いやられるし、人間関係が苦手な奴はそもそも話す機会を与えない方針らしい。

 …ということで、陰キャの群れなのに、コミュ力が要求されて、皆辞めたというのは、何ともやりきれない。

 ノーベル賞を取るために、ちょっと前は学生を奴隷のように酷使して研究成果を吸い上げる教授はたくさんいたが、いまでは綺麗なおべべを着てぺちゃぺちゃしゃべって人気者になる必要があるというのはちょっと面白いかもしれない。

 

まとめる

 30後半から40後半の世の中を支える人たちがもう耐えられなくなっている。ガチ勢のドロップアウトはきつい。頑張りすぎて潰れるのではなく、うまく逃げだせるのはまだましかと思うけど、もう今の組織システムは維持できないんだろうなぁと思った。

 

終わりに

 まぁ、小話である。話半分で聞くのが吉だけど、こんな流れがあるのは知っておいて損はないと思う。

 ほどほど働いて、ほどほど遊べるのが一番いいんだけどね(^ω^)

 

 

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