引きこもりが凶悪犯罪を起こし、被害にあった子供や犯人を「楽しそうに」報道するテレビが怖い。何でこんなことをするか、どうしてこんなことが起こったか考えてみた。
引きこもりと殺人事件の因果関係
最近、ある事件で子供が刺されて死んだ(報道が不愉快なのでリンクは貼らない)。
大々的に繰り返し情報が流され、ほとんどテレビを見ない自分にも目に入ってきた。そして、その姿は異常に映った。この事件を商品として面白おかしく売る姿を見ると事件以上に報道側を恐ろしく感じるが、恐怖は超えなくてはならない。彼らの意図する情報が実際にこの事件と犯人はその属性や社会問題と繋がるのかを考えてみる。
引きこもりをピックアップする理由
大変痛ましい事件が起こった。通り魔、テロ、殺人、子供、引きこもりとわかりやすい単語が並ぶ事件だ。そして衝撃的な分、テレビ的においしい。
「引きこもり」と言う単語を使っているが、以前に「ゲーム中毒者が」「オタクが」などなど適当にカテゴライズしたものの看板の架け替えだと思う。
これは政府や金主がCooljapanを推し、アニメ・漫画を叩きにくくなったので、テレビは新しい「分かりやすい偶像」が必要になったためだろう。
蛇足だけど、いま最も健康的に社会的に問題なのはスマートフォンの長時間使用だったりするが、携帯会社は金主なのでそれはメディアには乗らない。
「オタク」にせよ、「引きこもり」にせよ、テレビの目的はそのぼんやり定義した集団を異質であると叩くことで大衆の怒りの矛先を作り出し、感情の吐き出し口を作って瞬間の視聴率を上げ、強い印象をその後のテレビショーの一環・コンテンツとして使うことに尽きる。いわばプロパガンダ報道の一種である。
おそらくここ一か月くらいはこの事件の印象を使って、「中高年引きこもり」とか「ネット・ゲーム依存」やら「コミュニティの在り方」なんてテーマで人々の感情を煽って視聴率を稼ぐんだろう。胡散臭いNPOや論文を書けない専門家が訳知り顔でしゃべり、アホ面のコメンテーターが変な顔でご意見するのかもしれない。
しかし、重大事件を発端にした問題提起で社会問題が解決したためしはないし、肝心のその事件さえメディアが後を追わず、解決の助けになることはない。単純に読む人・見る人の心を中途半端に騒がすだけの結果に落ち着く。
つまり、事件や子供の死、引きこもり問題はあくまで話の種で、メディアにとって単なる金儲けの一環なのである。
そういう意味ですでにメディアは報道の体を捨てたレッテルの塊なのかもしれない。
引きこもりの定義と現実
引きこもりの定義ははっきりしていて、
仕事や学校に行かず、かつ家族以外の人との交流をほとんどせずに、6か月以上続けて自宅に引きこもっている状態
のことを言う。
ただ、この定義、結構穴があって実際の引きこもりの一面を見せているにしか過ぎない。
例えば、同じ定義上の引きこもりであっても、ネットをやっているかやっていないかで全く違う。外部との関係性の有無は現代社会において対面の会話だけではなく、電話やメール、SNSやゲームでのテキストトークでも十分にできるので、家を出るかどうかは関係ない。また、就労に関しても不労所得を得ているかどうかで全く状態が違う。株や不動産で一定以上の収入があれば税の支払いも口座を使って自動的にできるので、個人、もしくはその家庭の資産状況によって生活状況が著しく異なる。
では、なぜこんな間抜けな定義を省庁が認めてしまったかと言うと、当初の学者側に強い先入観があって、「引きこもりは若年で弱者である」と言う前提があるからである。
実際にはDVをして家の中で王様になっているクズもいれば、心身症を患い立ち上がることさえできない病人もいる。単純に家から外に出る必要がない人もいれば、家事手伝いもいるだろう。社会的な脱落であっても、小学校で落ちた人もいれば、大学院で崩れた人もいる。
つまり、強者も弱者もおり、健常者もいれば病身者もいるため、定義として破綻しているのである。
煽り気味に政府やその広報がむにゃむにゃ言っているが、実際は「外に出る必要がない人」、「外に出られない人」や「外に出たくない人」などが混在しており、それが意味するところは単純に「我々が外に出ないでも生活ができる環境を作った」ということでしかない。
ただ、我々の生活の質が変わっただけなのである。
引きこもりは犯罪者予備軍か
さて、ひっそり引きこもっている人にはいい迷惑だが、実際に引きこもりの一部(多く?)は心身症・高齢化を含み社会問題と言える面もある。しかし、だからといって犯罪を犯しやすいのだろうか?
自分はそうは思わない。
まず、日本の他殺による死亡(殺人)は一貫して減少しており、平成13、14年に総犯罪認知件数がピークを迎えたが、近年、それも抑えられている(警察庁犯罪情勢pdf)。
つまり、日本から犯罪が少なくなっている。
一方で引きこもりと言われる人たちは増加の一途をたどっている…らしい(実数は誰にも分らない)。もし、引きこもることが犯罪の温床になるのなら、重大事件数や犯罪総数は引きこもりの数に比例して増加するはずであるが、上記のようにまったくの逆である。
また、犯罪の多くは犯人の生活環境とその周辺で起こり、日本の場合、特に殺人に限定すると、尊属殺人が多くを占めるので(法務省報告pdf)、そこに注目しても割合はほぼ横ばいで引きこもりと尊属殺人の相関性はない。
つまり、「引きこもりと言う集団」と「犯罪率」との関係は全くない。むしろ犯罪抑制につながっているとすら考えることができる。
人生と発狂
では、どうしてこういった突発的事件が起こってしまうのだろうかと考えると、一番大きな原因はその人にとって急速な環境の変化と心理的肉体的限界があるのではないか、と経験上思う。
自分は至極普通に生きているが、知っている人が突然おかしくなる瞬間や壊れていくのを目撃することがあった。その際、助けられた人もいるし、助けられたこともある。助けられずに死んでしまった人もいるし、突然狂ってしまう人もいた。
心の限界を迎え、心の割れた欠片が他者である我々に見え、大きな破片が暴れたり自死したり泣き出したりと言った行動なんだろう。
おそらく、今回の凶悪事件では不幸にも子供が犠牲になったが、それと全く関係なく犯人の男は彼自身の何らかの突発的変化や限界を迎え、ついに壊れてしまったのだろう。
具体例として、自分の経験を振り返る。
高学歴の同僚は職務中に暴れ出し、屋上から飛び降りて死んだ。名の知れた大企業の社長が退職を期に首をつって死んでしまった。失恋で警察官から拳銃を奪おうとした奴もいる。華々しい業績を出した研究員が小さなミス一つで引きこもってしまったこともある。
彼らは長年、社会の表におり、社会的成功者であるが、犯罪者と同じように狂ってしまった。
学歴や地位、年齢や職種にかかわらず誰しもぶっ壊れる瞬間はある。
引きこもることと関係なく、我々は全員柔らかく脆いのだ。
本来それを認めてみんなで話し合わないといけないんじゃないだろうか?
どうすればいいか
雑な私見だけど、別に引きこもっても生きていけるなら別にいいと思う。でも、ぶっ壊れるのを見るのは悲しいので、個々人で壊れるのを防ぐ有効な方法を書いてみる。
程よく運動して、程よく休んで、程よく食事をして、たっぷり水を飲んで定時に寝る。
である。
バカみたいだけど、これが真理だと思う。
その上で、もう「弱者」が引きこもっているなら、少しずつ活動域を広げたり(部屋→庭→近所みたいに)、自分のできる活動をできる範囲ですればいい。
1日数時間でも働ける仕事は山のようにあるし、別に部屋から出なくてもネットで小さな仕事や学業はできる。
そして、弱い引きこもりが10円でも稼げはそれは大成功だと思う。大金を稼ぐ必要はないし、社会的信用なんてそのうち付く。だから、10円から次を見つければいい。
終わりに
多くの人は自分や他人に期待し過ぎている。別に貧乏でもアホでもいい。引きこもっていてもいいし、外に出たくなったら出ればいい。それで生きていけるならそれでいい。いうほど他人は私を見てない。
でも、テレビが作る虚構の「煽り」に負けないよう、発狂しないために、時間が空いたら、水筒を持ってちょっとお散歩なんてどうだろうか?
ほんのちょっと楽になるはずである(^ω^)
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