自分の中でどうしてもオリンピック/パラリンピックが盛り上がらない。どうしてなんだろうか、目標・競技者・電通と言うワードで考えてみた。
(今週の一枚)ビアガーデンでビール🍺(pixiv)
テレビ・ラジオなどのメディアではいまさら大々的にオリンピックを盛り上げようとしているが、どうしても自分の中でこの祭りに興味が移っていかない。自分の感性が古びたり、単純に疲れているのかとも思ったが、どうも違うのではないかと思うようになった。
では、どうしてこのイベントに心が向かないのかを具体的に現状を洗い出し、モヤモヤしている理由を探ってみる記事です。
目標の見えない広告
新型コロナウィルスの蔓延によって東京オリンピックは延期になった。この延期によって様々なプログラムに遅延や齟齬が生まれて、これに関連したビジネスが破綻したり大幅な方向転換がはかられた。そして、東京オリンピック自体の目標が迷走してしまったのではないかと最近感じる。
延期前はオリンピックを通して「日本を宣伝する」と言う大目標があった。その広告対象「日本」の中に福島復興であったり、観光国家であったり、ジャパンコンテンツのアピールなんかがあった。商業オリンピックとして、各々がオリンピックマークを付けて宣伝すればそれが日本の宣伝となり、上手く歯車が回れば日本全体のイメージアップと各個のイメージアップの相乗効果になっていたのではないかと思う。
しかし、延期後になると大前提の「日本の宣伝」がなくなってしまう。海外からの入国自体がなくなり、日本人さえ入場できなくなったので同然だ。それが一番わかりやすいのが開会式のセレモニーだと思う。
まず、比較として北京・ロンドン・リオの開会式を見ると、それがはっきりわかる。開会式の流れはオリンピックします→この国でやります→この都市でします→参加選手はこんな人達です→さぁ楽しみましょう…と言う流れになっていて、これを見るとこの国や都市がどんなところなのかを何となくイメージできる。
一方で今回の開会式を見ると国と都市のイメージがよくわからない。
一見、それっぽいように見えるが、一つ一つがバラバラの意図を持っていて、それぞれのパフォーマンスが何に繋がるのかが最後までわからなかった。テレビで見せたいのか、競技場で見せたいのかがバラバラだったともいえる。例えば、歌舞伎は素人目に見ても演技・演出が中途半端だし、競技場に誰もいないのにドローンを飛ばしても誰も見ないし、ピクトグラム模倣も規模があまりにも小さかった。これが日本の印象だとするなら、日本は実体がなくとてもぼんやりしてバラバラだと言うことになる。
逆に、リオオリンピック閉会式で見せた「安倍マリオ」の演出ははっきりしていた。モニターでの演出、トラックでのマリオ出現、競技場全体を使った光の演出、See you Tokyoと言う文字、すべて「東京へ」と言う一貫性を持った演出があり、とても見やすかった。
演出家の優劣もあるのだろうが、ショーとしてここまで開きがあるとショボンとしてしまうのもしょうがないと思う。
競技と競技者を置いてけぼり
目標の迷走と書いたが、延期後、一つ大きな目標だった競技・競技者へのリスペクトが少ないのが今回のオリンピックではないかと思う。
一番の問題は事前に競技に対して解説が全くない点である。オリンピック開催に関して良いの悪いのと言った情報はたくさんあったが、何が難しくて何が楽しくてどうやってみればいいのかの競技説明がオリンピック開幕まで全くなかった。…というか、自分から調べないとどんな競技でどんな人がいるかも知らない。
陸上競技のように純粋に速いか遅いかと言う競技であっても、そこに至る準備であったり競技中にどういうペース配分をするかと言った点で競技者だどう素晴らしいのかを前もって伝えないといけないことが必ず存在する。その他競技でも、この知っておくべき情報がないままではほとんどを面白く見ることができない。
ムキムキの人達が運動した汗を見るなら河原で走っているおっさんを見ても感動できるはずである。そういったおっさんを超え、世界中から技を極めた競技者が集まるが、いったいどうしてすばらしいのかわからないと時間の無駄になってしまう。
www.2020games.metro.tokyo.lg.jp
そして、この状態で、今、メディアでオリンピックで騒がれているのは、「金メダル」である。もちろん一等賞をとる人は素晴らしいし最高の栄誉なんだろうけど、なぜ一等賞になれたのか、負けた人たちがどうして負けてしまったのか、アスリートのドラマが全くないのである。
ハッキリ言って、限られた勝者だけに注目するのならオリンピックをする意味はない。オリンピアンそれぞれのドラマを伝えない報道はスポーツ・競技としての価値を感じない。
では、その説明すべき枠に何を押し込めたかと言うと、NHKならアニメと引退したアスリートのお気持ちであるし、民放なら企業宣伝番組やオリンピック批判である。それらは添え物としたら素晴らしいコンテンツなのだろうが、あくまで副題であって本題は競技そのものである。競技者を隠して、外野の意見やそれを模倣した映像を見ても意味ない。我々とアスリートの距離がとても離れていると感じた。
アスリートファーストと言う言葉をオリンピック関連でよく聞いた。もし、今回のオリンピックの中心をアスリートとするならば、それは全く失敗しているのではないかと思う。
電通の凋落
オリンピック関連でネットをザッピングすると「電通の陰謀」と言った言葉が飛び交う場面によく出くわす。オリンピックを取り仕切る彼らは悪の組織でオリンピックを食いものにして、中抜きをして逆らう邪魔者を排除しているらしい…って、本当かよと思う。
延期したのだから、その分の追加予算は必要だろうし、遅延金発生による損害をそれで埋めたのかもしれない。オリンピックの目的が迷走し、各協賛企業のクレーム対応に対処するならバランスの悪い人事を解消する必要があったのかもしれない。
そういった混乱の中で果たして陰謀を巡らしたり、すぐにでもバレそうな中抜きなんかをするのだろうか。自分にはどうもこの「電通の陰謀」は問題を彼らに押し付けて本質的な原因に目を向けていないように見える。
では、なぜ電通という広告代理店がスケープゴートにされたのだろうか。
電通と言えばディズニーランドを誘致したり、様々なテレビ広告に関り、タレントの差配やオピニオンをリードしていた巨大企業だ。
しかし、近年、テレビ広告の減少と共に徐々に勢いを無くし、ネット広告へのアプローチがなかなかうまくいかない、模索中といった状態で徐々に弱っている。そんななかでオリンピック延期により広告の囲い込みも各企業の離反によってうまく制御できていないことがうかがえる。
その渦中ではたくさんの混乱があり、出てくる醜聞に見えてくるのは、代役が出ない点と電通が前に出ない点である。
賄賂で竹田何某が逮捕されそうだが、その代わりになる代表がいない。森元総理が追い出されたが、代わりの叩かれ役がいない…など、辞めさせるならそこにハマるピースを準備しないといけないのに、それを準備できていないのである。だから、組織がまとまらない。
また、上で紹介した本のように社員として新しい人やチームが実働してそれを運用するのだが、オリンピックプログラムの中で昔のように電通の人が目立たない。敢えて名前は出さないが、NHK人脈であったり、他企業のイベントプロデューサーであったり、関連会社の年老いた元社員であったりと裏方も外部の人間ばかりで、実務を担ったりコーディネイトするはずの電通の存在が見えないのである。
つまり、ああだこうだと「電通」と言うアイコンに向かって色んな人が吠えているが、電通の「関係者」を叩いているだけと言うことになる。ネット広告の勃興によって利害と無関係となったヤカラが関連情報を蒔き、弱った虎を棒で叩いて遊んでいるだけだとわかる。
本質的なオリンピック利権は放映権と商標権であり、それはメディアと大企業のコンプライアンスの問題なのだが、それにはあまり触れられない(…だってつまらないものね)。
そう考えるとオリンピック問題は大企業の経営不振から来る資金不足であり、多くのオリンピック批判も的外れで、どうでもいい妄想ばかり見聞きしているとなんだかもやってしてしまうのかもしれない。貧ずれが鈍ずると言ったところだろう。
終わりに
なんというか今回のオリンピックには激しい怒りを覚えないし、キラキラした感動も覚えない。これはどうしても広告や無駄な情報がフィルターして競技そのものと距離がありすぎるからなのかなぁと思った。
アスリートには頑張ってもらいたいけど、テレビでは見たくない…そんな感じ('ω')
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