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1週間に1記事を目標にして、考えたことや描いた絵について書いてます。

エヴァンゲリオン的世界の終わり

遂に完結したということにしたエヴァ。色々な人とちょっとずつ話をして自分の評価と他人の言葉から気づいたこともあったのでまとめてみる。

 

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(今週の一枚)はいチーズ(pixiv

 

 

※※かなり辛口の評価なのでファンの人は読まない方が…※※

 

 

新作映画の総評

 以前の記事で自分のエヴァに対する所感を書いたが、新作映画も大体流れはこの通りになっていたと思う。

nipplelf.hatenablog.jp 前提とする知識がある程度あった場合とない場合でその見方が変わるので、単純に映画として見た場合と、ヱヴァンゲリヲンシリーズとしての評価を書いてみる。

 

映画としての評価

 単品の映画として見ると、わけのわからない自己啓発宗教映像になっており、金をかけたクソ映画と言う評価になる。リアルで見聞きした場合、これを単発映画として面白かったという人に会ったことがない。前作のQと同様にすでに単純な映画としての構成は捨てており、見に来る人に「当然予習復習してますよね」みたいなスタンスを要求している。

 なんでこんなに悪い評価になるかと言うと、いくつか問題があげられる。単独の映画として見ると、前半部分と後半部分の整合性が全くない。いくつかの場面展開が急激に起こり、ストーリーに一貫性が取れていなかった。また、劇中で新たにいくつかの謎用語や謎設定が出たがそれを回収しないで終わったのは非常に良くないと思った。

 こういった断片を合わせたような映画はなにもエヴァ特有のものではなく、演出として結構あるし、劇中で作った謎は劇中で答えを仕込んでおくことで初めて評価の対象となる。逆に投げっぱなしは負の評価になる。有名なところでは「メメント」が比較としていいのではないかと思う。

eiga.com この作品は解説を見聞きするだけでも面白い。映画として見ても犯人がすでに…というホラーの落ちと、タトゥーの秘密、自身の病気と主人公の人間性なんかが見るたびに変わる。そして劇中には謎とその答え、いくつものギミックとその理由がしっかりと埋め込まれている点は作品として1級品だと思う。

 こういった成功例を見ると、エヴァでは結局のところ出された謎はただの張りぼてで、なぜこの言葉なのか、なぜこんなことをするのかと言った理由がすべて後付けや話を盛るために作られたことが分かる。バックグラウンドがあいまいなため、その他の肝になるはずのシンジ君の内面やらお気持ち会話、ロボットバトルは単独シーンなら素晴らしい点は多々あるが映画としては盛り上がらなかった。

 仮に、謎は釣り餌で映画を見に来た人を引き込むために使ったとしても、肝心の映画の主張がなかったためにまとまらない。そのため、単品の映画として見ると派手な演出の割には「???」と言う気持ちで映画を見終わることになった。

 

ヱヴァンゲリヲンとしての映画評価

 自分も含め世界を何回も作り替えたシンジ君が結局ほどほどの世界で自分の存在意義を認めて幸せになりました…チャンチャンみたいな落ちだったので、まぁ妥当な落としどころだなぁと思った。

 シリーズとしてはテレビ(漫画)→旧劇→新劇と20年以上やってきた人気IPなので、その都度いろいろ議論が起こっていた。テレビ版の全滅(?)落ち、旧劇のThe End of Evangelionの「お前ら現実戻って頑張れや」という意味不明なメッセージには驚き怒りも覚えたが、正直なところ今作に関してはふ~ん幸せになったんだ「おめでとう」という気持ちになった。

 

 ヱヴァンゲリヲン全体を支えるシンジ君の心象もやっと落ち着いて幸せになりましたというメッセージになっている。これをもって心の紆余曲折…と言うか彼の心の病気が落ち着いたものになった。しかし、シリーズを通して見ると、序→破→Qと続いた激しい心の動きはまるで投薬前後の患者の様な状態で、奇をてらった意図があったのかと思っていたので、今作の結末を見るとそれも単に発狂していただけに見えた。

 もう一つの核となるアニメーションは、テレビ版であったような静的な間であったり、お洒落なテロップとか特撮仕込みの演出がほぼなかったので、全体をテンポの速い動的なものに変えたのだと思う。ただ、その動きを担保する背景やギミックが回を追うごとに少なくなったので、戦闘パートは印象が薄かった。セル画としてこれ以上ないという域にあった旧作の各シーンと比べると、CGに軸を移した新劇、特に今作のエヴァのバトルは解像度が高くてもアニメーションとしては旧作を超えられなかったのは残念だと思った。

 一番しっくりこなかったのは本当に適当な理由でキャラクターが復活したり死んだりしている点である。今まで地球を守るとか、人類の生存とか大きなことを言っていたのに、シンジ君が好きか嫌いかでそれが決定されているのは今までの長い旅を否定しているようで残念な気持ちになった。つまり、短いシーンの連続で人生劇や物語がない。「アニメはご都合主義なんだよ」と言えばそれまでだが、新劇場版ヱヴァンゲリヲンはエンタメにすると言っていたアナウンスは反故にされて、旧劇のようなキレキレな主張もなくなり、平凡なアニメ映画になることを選択したのは製作として失敗なのではないかと思う。

 …と、まぁ散々な評価であるが、とっ散らかったシリーズをなんとかまとめて完結させたので、物作りをする人として見ればすごいなぁと思う。凡作であるが故に作りきったという思いを受け取った。

 

エヴァの世界と現実世界の変化

 自分が子供だった頃に真新しくてドキドキしたこの作品は今の子供にとってはどう映るのかが気になったので色々な場所で意見を聞いた。SNSの全否定や全肯定のような極端な物言いと異なって自分の範囲だと目新しい意見が大きく2つあった。

 

・よくわからない

・古臭い

 

である。

 

 「よくわからない」というのは作中の宗教的な話なのかと思いきや主人公碇シンジ君がなんであんなに悩むのかと言う点である。なぜ彼がエヴァに乗ることに悩み、なぜ無理をして戦い、どうして逃げ続けるのかと言う点ともいえる。

 自分が10代のころはこの懊悩はものすごく理解できたし、誰も助けてくれない中で「逃げちゃだめだ」という繰り返し出てくるフレーズは弱い自分を押し出す言葉なんだと共感できたが、それこそ意味不明なのだそうだ。もっと楽しく考えたほうがいいし、男だからとか言うのはばかばかしいし、逃げるならみんなで逃げればいいというのが彼らの総体としてある。

 

 もう一つの「古臭い」はまさにそのままの意味で、エヴァがやっている劇は他のアニメや漫画で何度も擦ったネタで、今更仰々しく映画にされても「あぁまたこれか」みたいなイメージになるらしい。では、なんでそんな古典を見に行くのかと言うと、みんなが見ているから、SNSで有名だから…と言うように、いわば教科書だから仕方なく見ている帰来があった。謎の答えが知りたければネットを参考にすればいいし、それに対する意見もSNSで拾えばいい。穴埋め問題を埋めるように答えるそうで、とにかく一般常識として必要なのだそうだ。

 

 よくスマフォ、SNSが普及するようになって生きにくい世界となり、みんなが縮こまったりある意味不幸な環境で彼らが生きていると言われるが、そういった意見を目の当たりにすると、生きる方法自体が変わったのではないかと感じる。

 これを簡単に言うと「進路が増えた」である。おっさんおばさんたちが通った道は色々ありそうで結局1本道で、そこから落ちないようにみんなで我慢して前に進むというのが習わしだったが、今の子供には2本道になっているのではないかと思う。1つの道は自ら厳しい道を選んで栄光を掴む道であり、もう一つは集団に紛れて何もしない道である。厳しい道では辛いが楽しい、楽な道はつまらないが安心。そして、いずれの道でも彼らは常に笑顔でなくてはならない。そんな道からエヴァを見るとシンジ君の行動は意味不明のようだ。

 

 個性と言う例外を認めようという風習になったが、個性が出せない人間は以前よりもっともっと脱個性をして他人と同質化している。ゲームのNPCのようにならないといけないというのは何とも厳しい世の中に感じるが、それが当たり前の人にとってはそれこそが常識なんだろう。

 

 かつて新鮮だったエヴァの世界は今やカビが生え当たり前の世界観の一つになった。それを知らない子供が見ても既視感があり、特別だった世界がよくある日常の一つになるのはある意味エヴァの世界で言うLCLの海になったのかもしれないが、溶けてなくなったとしても、もっと峻嶮された特別な人だけが進める世界が作られいるのは面白いなぁと思った。

 

終わりに

 SNSでこの作品が面白い!という人はたくさんいるけど、それはみんなが面白いと言っているから面白いと言っているだけなのかもしれないと思うと変な気分になる。

 …今度は単独作でも楽しい作品が見たいかな(^ω^)

 

 

 

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