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アベノミクスと加計学園の本質 その2

 アベノミクスという単語や政策について、テレビも政府も言わなくなってきた。みんな一様に「空気を読んだように」興味を失った。こういった、時間と共に計画の結果を確認しないようにしている様は、苦しいことも楽しいことも忘れて、暗闇の中で踊っているようにも見える。

 

 自分にはダンスのセンスがないので、その2では加計問題も絡めて、自分なりの答えを考えてみた。

 

*こちらはその2です。

その1では理想と結果について、その2では加計問題を含めた本質に触れます。

ご興味がありましたら、その1からご覧ください。

 

・理論と現実の隙間を感じた不安と不満

 

アベノミクスはなんで、ここまでスタックしてしまったのか?

 

 消費税が悪い!といえば、わかりやすいが、安直だと思う。では、アベノミクスそのものが誤りだったのだろうか?と考えると、理論自体はそこまでおかしくなかったが、いくつかの方法と現状認識に齟齬があったように見える。
 そこで出てくるのが加計学園問題となる。別にお友達~とか忖度という気はない。その本質となる教育事業についてである。
 本来、教育事業とは簡単には儲からないものである。とにかく結果が出るまでに時間がかかる。国家であるとか大企業であるとか余裕のある資本が人間に継続的に何十年も投資してやっと投資効果が見えてくるものである。
(もちろん学習塾など教育産業としての価値はあるが、それは教養という商材を売ってその対価を得るものなので、人に投資してその人が儲けを出すという本来の教育という形とは若干ズレるのでここでは触れない。)
 しかし、いくつかの法人は企業化して、たくさんの儲けと新たな投資を次々と行っている。いったいなぜこんなことが起こるかというと、小泉政権以降教育の自由化の名のもとに教育法人に対する制度改革が行われて、教育資本に対する見直しが行われた。早い話、多少潰れることを覚悟で学校校舎などの不動産を担保に金を借りて、もっと資金の流動性を上げろと言われたのである。
 これによって、潰れそうな学校を買って、その学校を担保に・・・というゲームが始まり、巨大な法人格を持つ教育産業という名の不動産経営者が誕生することになる。このような業態は教育だけでなく、医療、郵便、通信、エネルギーなど様々な産業分野で行われて、資本の流動性の再定義がされた。例えば、突然近所になんとか医療法人の老人ホームができたりしていないだろうか?これはこのゲームの一環と見ることができるのではないだろうか?
 こういった本来国として制度と補助金によって守られていた法人が、制度を緩くして補助金と不動産を担保にして資本を拡大する特殊な企業となり、その活動が20年以上行われて、今に至っている。
 もちろん、この特殊資本化にはいい点もあるし悪い点もある。

 お金持ちはもっとお金持ちになれるし、法人格を取れば簡単にゲームに参加できる点がいい。
 悪い点は実業が全く変化しないことである。中身がそのままで売り買いをするので、もし中身が腐っていたら、そのまま腐り続ける点がやばい。

 長々と書いたが、この「腐り続ける」事の評価点がアベノミクスの齟齬ではないだろうか?この政策の前提として、売り買いの対象となる人や施設は十分機能しており、その価値評価を改めて、お金の動きをよくすることで価値を再生することになっている。
 しかし、実際やってみると公共工事はアップアップだし、医療や教育もすでに空洞化、十分な流動化をしている。政府制度にあまり関係がない国際企業はすでに流動性は確保しており、現物の販売量の動きに注目しており、銀行から金を借りるようなことはしない。
 そんな状態で、さらに良くも悪くも空洞化の原因となった教育法人を優遇しようというのだから、「投資」はうまくいくだろうが「教育」はうまくいかないだろう。
 つまり、小泉政権下で行われた数々の「改革」はまだみんな元気だったからできたが、その焼き増しの「アベノミクス」を疲れ果てた状態でやっても効果がなかったともいえる。
 暗黒民主党政権によって受けた傷はアベノミクス以外の粛々と行ってきた通常の行政活動によってある程度元に戻ったが、それ以上の野心的目標には到底たどり着いていないというのが現状であろう。
 安倍晋三氏とその周辺の集団による政治行政能力は優秀であるが、彼らの目的とするこれ以上のゲーム化には多くの人が不安を覚えており、現実にゲームがうまくいっていないことが国民の不満につながっているのではないかと思う。

 

 

・本質を置いて利害対立している人たち

 

 もし本当に日本経済そのものを立ち直らせるには実業の再生と、それに対する労働者と企業家の再定義が必要になり、それには小泉政権から20年以上かかったことを考えても、同じ程度の時間がかかることを考えて動かなければならない。
 そういう意味での「人づくり改革」というフレーズは好きであるが、中身を見てみると
英語をおぼえようとか、パソ中平蔵周辺のロビー活動であるとか、補助金目当ての活動家ばかりが目立って本当に学ぶ人そのものにお金、教育がいきわたるのかものすごく不透明である。
 そういった「いま」ゲームをするプレーヤーは楽しいだろうが、プレーしていない人や「これから」生まれる人はどうなるのだろうか?


 おそらく問題を感覚的にも実際の情報としても、より深く認識している方々が政権にいる・・・と感じるレポートも見ることができるが、全く認識をしていない、もしくはその能力がないような全く価値のないものもある。
 それが現状の利害関係と照らし合わせたときに果たして運動としてうまく機能するかは別問題なんだろう。
 例えば加計問題は獣医師の偏在とこれからの在り方が本論であるが、学校という枠での許認可であるとか数をどうするとかのその利権をめくったもの、言ってみればプレーヤーの利害の話題で、自治体の獣医師への給料や新規防疫に対する専門性や最低限必要な実数などの現実問題については最後まで野党の議題に出なかった。
 その点は有識者(笑)の会議で結論がでているそうだ。


最近の安倍政権を見ているとそういった誰の顔を向いてしゃべっているかわからなくなるちぐはくな行動や発言が多くの分野で見られる。


 本来は「政治的」に話し合いをして政策のいいとこ取りをしたり、妥協点を見つけるものだが、権益を守る側も攻める側もその落としどころを見失ってまるでプレーヤー同士の殲滅戦をしている風景が見えて来る。
 各分野で抵抗と推進が起こっていて、そういった反乱の結果がテレビを使って表面化し、テレビの前の人たちの不安を助長したことが加計学園問題のもう一つの面であると思う。


現実での停滞と内部抗争の激化が今の安倍政治の現状といってもいい。


そして、そこには野党や右左思想家の影も形もない。利害対立にすら絡めていない、まったく間抜けなものである。

 

 

・いいもの作ろうよ

 

 経済産業資本化、移民受け入れ、EUとの協調と離脱などによって、破滅の危機にあるイングランドのようにはなりたくない。
 実際の人や物を効率化し、目まぐるしく動かすことで経済を活性化させた結果が、あの国の荒廃につながっているのなら、人と物の更新、それ自体のメンテナンスをしなければ危険であることはすでに分かっている。崩れかけの橋しかり、民間の工場施設しかりである。日本でのそういった基本的な資本が人、物ともに限界を迎えようとしている。
 値段交渉ではなく、いいものをもう一度作れるようになろうという議論がそれそれ起きて、国内で実物投資が膨らんでもいいころあいだと思う。
 もし、たった今見直しが進んだとしても、今苦しい人は救われないだろう。しかし、せめて何十年後に働く人にはほっとできる空間を作ってほしいと安倍政権に期待する。


・・・期待したい。

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