適当に描いてもうまい絵にはならない。一方でたくさん描き込んだりしてもただの自己満足でしかない。素人がいい絵をどうやって描こうかを考えてみた。
(今週の一枚)迷いの森で道を聞く(pixiv)
描くだけだともったいない
ただ漫然と描くのは楽しいし、それこそが遊びである。原始人もやっていた古来からの遊びがお絵かきだ。でも、描き続けているだけだと飽きてくる。刺激好きな現代人の悪い癖で、もっと上手になりたいし、みんなにちやほやされたくなる。
しかし現状を眺めると、自分には絵の知識はたいしてないし、一生懸命になって学んだ覚えもない。そのため、考え方や描き方が他者より歪んでいるかもしれないが、好きでやっているのでそれはそれでいい。その代わり、1枚ごとやシーズンごとに目標のようなものを作って日々描いている。
だから強く思うことがある。作るだけでもいい。でもそこにゲーム性をほんのちょっと入れて遊んでみるのもいいんじゃないだろうか。
自分の場合、少なくともゲームであることを意識して、色々目標を作ってやっているのだが、それが達成できないことが多々ある。それでも完成品を評価するとゲームのリザルトっぽくなっていい感じになる。
例えば、今シーズンは「できるだけ描き方を変えて、描き込む密度の違う物を作る」ことにしている。
見返すとパッと見た感じの絵の細かさや厚み、色使いなどがぼちぼちと違っていて別の人が描いている…とまでは言えないけど、それなりに多様な装いのものが作れていると思う。
目標に対する自己評価として、シーズンでの評価はボチボチだけど、やはり1枚ごとには不満が多く、1週間に一枚の制約の中でもう少し内容をスリム化したほうがいいと感じた。結論として、それぞれの目標は達成できてないことが分かる。つまりシーズンB、各絵Cみたいな評価になる。
・・・これを基に次はどうしてやろうかとさらに遊びが続くのである。
また、色んなゲームの素材として使ってみても面白いと思う。いいねを100を目標に、10コメントをもらおうと、これを出汁に1000円儲けようとか、人によって色々あると思うし、ゲームだからがっかりすることはない。色々試してみればいい。そんなことをいつも思う。
今回はそんな微妙な遊びの中で、いい絵を作るための目標と結果から感じたことを書いてみる。
描き方と目標とその結果
テーマにしろ描き方にしろ具体的な目標やイメージを持った作品を作った方が楽だし完成したものも見やすいはずである。自分が作った目標と絵を振り返って描き方を考えてみる。
描き方の方向性と立体領域の指定
目標の一つとしてより細かく鮮やかなものを作るというものがある。どのくらい詳細だったらいいだろうか… まず他人を見てみる。ネットの発達によって国内外で色々なプロの人の描き方を見ることができる。キーワードでdrowing、paintingなんて検索すればいくらでも出てくる。
日本だと多くの場合、下書き→線画→べた塗り→個性的着色みたいな感じで、領域を確定してから着色する場合が多い。一方で、海外の方だと下書き→あいまいな領域→特定の領域とカメラのフォーカスをするように徐々に実体に近づく描き方が多い。
www.youtube.com(この場合、領域化→少しぼかす→領域化→・・・と少しずつ境界を狭める)
上の動画の方を見ると、上手だなぁと思いつつ、中々真似は出来ない。これは自分の領域の線引きと色による立体感の捕捉が不十分だからなんだけど、自分も線画から絵を起こしているので、なかなかこういった徐々に領域をしぼることができていないことも原因かと思う。
(頑張ってもこのくらいが限界)
領域と言う視点で見返すと、鎧の光沢の部分の強調やあごのラインの境界線などのメリハリが不十分で、本来ならあと何回かは塗り重ねが必要だったなぁと思う。
立体性の維持は陰影のしっかりした管理が重要なことは動画からもわかり、この絵のキャラの問題点を見ると、切りたい境界をしっかり明度の高い色で区切ったり、黒で境界を区切ることである。この辺は次の目標になる。
テーマの具体性とストーリー性
何かの参考に…なんてスケベ心で美術館に行くこともあるんだけれど、まぁはっきり言って陰影の強い西洋古典のバロック美術なんか見ると、「あっこれ無理だ」とへたれる(;´Д`)
まぁ画法的に素人には無理であってもその指向性であったり、はっきりしたテーマの存在を一枚ごとに意識することはできる。
絵を見た瞬間に「おっちゃんたち仕事してる」とか「なんかケンカしている」みたいなプロテスタントや中世の暮らしを感じることができる。そういう強い意図や動きは構図やキャラの眼の動きとか絵の中心点だったりするのですごく参考になる。
これについては以前の記事でサムネイルで絵の中心と物語性の有無について考えてみたが、古典を見る限りサムネを作りつつも物語を生み出すことは可能なので、着眼点をもう少し洗い直した方がいいのかなぁなんて感じた。
例えば、実際に自分の絵(↓)を見ると、テーマという意味では移り行く時と令和の御代イメージした絵を描けたが、明るい御代が来てほしいという願いが前面に出ていたので、誰が見てもわかりやすい絵になっていた。
この絵のようにはっきり言いたいことを見た瞬間に分かるように出来ればいいのだが、まぁ大概の場合は言いたいことがごっちゃになってしまうことが自分の場合多いので、よりはっきりとしたキャラの動きを作り、言いたいことをもっと鮮明にするのが次の目標になる。
いい絵を作る絵と別の価値
自分はデジタル専門で描いているが、油絵を描いている人や完全な3DCGアートを作っている人もいる。そのほかの工芸品も含めて趣味で物を作っている人の多くはプロアマを問わず、その作品に自分の意思、自己表現を載せているので、評価されたいしそれを高く買ってもらいたい。
だから、よりたくさんの人に見てもらって、より高い評価を得るということが現代の一つの目標となる。
美術品としての価値
目標をみんなに見てもらって褒めてもらうこととすると、その表現の場はSNSだったり、展示会になる。しかし、世界的に情報が行きかうと言っても、その評価のグループは言葉、風習で地域ごとにある程度領域化されていている。
日本では素人の同人誌や物販のマーケットが充実して、「本当に楽しんで作って売る」という行為を楽しんでいる人が多い。一方でEUや中国ではそういった個人で楽しんで売買するというシーンをあまり見ない。その差を生む原因は物作りをしている人の割合で、日本が圧倒的に多かったり、最低限買うに値するものが市場に並んでいる、質の高さがあるからだと思う。
しかし、純粋に遊ぶという点を除くと、海外には上位者、圧倒的な才能を持つ人たちが自分を売るマーケットが充実している。
例えば、artstationなんかを見ればwebページの一番上にあるのは、「売る人」「買う人」「ファン」と言う項目で、最初からリクルーターへ向けてのカテゴリーがある。
また、中国では現代アートであるとか、しっかりと美術の才能を持っている人にお金を払うシステムが文化に内包されて、作品を不動産のように投資して美術家、投資家ともに莫大な利益を得て市場を作っている。
artscape.jp 海外の状況を見ると、絵の上手い人、才能のある人にとって厳しい競争があるが、商売を考えると何十倍もの利益になる素敵なものに映るのかもしれない。
自分にとってはいつかはこういったものにも評価されてみたいという願望はあるけど、まだまだ遠いなぁなんて見上げている。
他人の評価
こういった日本の環境で、以前の記事では人気者になるためにいくつかの方策を自分なりに考えてみた。
1年以上前に書いた記事だが、日本の人達の評価を基盤として少しずつ海外の方にも見てもらえれば嬉しいなぁくらいの感じで少しずつ見せ方を工夫していった。
結果の一部として絵のツイートのアクティビティを載せると去年より倍以上の人に評価をいただいていると思う。ゆっくりだけど順調に伸びていることが分かる。
もちろん絵によってはさっぱりな場合もあるので、はっきり言えば評価してくれる人はシビアで「ニッペルフのファン」と言う人はほとんどいない…というかいないかもしれない。ただ、こういうものはある一定の知名度を超えると爆発することも確かなので、一歩一歩やっていくべきなんだろう。
絵として美術的な価値を必ずしも必要としないこういった評価は一見無意味に思われるし、それに縛られて描くことを止めてしまう人をたくさん見ているので、一長一短であるが、遊びの一つの目標と捕えるツールとしてはなかなか使えるのではないかと思う。
絵を絵として見ず、何らかの別の品物として評価を得るということは絵を単純に描くということではないので、別のアプローチとして必要なことなのかもしれない。
終わりに
話が長くなったのでここで切るが、楽しむことは単純に一人遊びのプロになってもいいし、まったく違う遊びをしてもいいと思う。
誰かが作った枠の中で泳ぐのもいいし、自分で策を作ってその中に友達を呼び込むのもいい。
だから、苦痛の中で物が作れないことが悪い絵だし、自分の遊び場を作ることがいい絵を作ることなんじゃないだろうかと思った(^ω^)
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