こちらはその2になります。
よろしければ、その1からご覧になっていただければ幸いです。
その1ではネット情報の現状について、日本語情報の価値や強度がどの程度意味を持つかを考えてみました。
その前提からその2ではその情報処理の可能性について考えてみました。
続きを読む インターネットの情報からいろいろ判断しようとすると、結構な割合で間違える。
全くのウソ、デマ情報に踊らされて右往左往しているわけではないが、間違いに気づいたときはいたたまれないというか恥ずかしい気分になる。
いくら自分自身が気を付けていたとしても、噂程度で済ませていた情報に対して、それがほぼ事実であるように信じてしまう人がいて、実生活でも迷惑するようなことにもしばしば出くわす。
また、この雑多なデータ群に目を付けた、NHKでのネット情報を集めて色々やった試みもほとんど無価値なゴミデータ集積所になっている。
大きいものでは地震のデマであったり、小さいものでは○○の商品がとても美味しいみたいなウソまで多種多様なトラップが転がっている。こういった不確かな情報が広がっているネット空間内だけで知識の共有や集積で思考の向上はあり得るのだろうか?
ぼんやりと考えてみた。
長いので分けました。その1ではネット情報の現状について その2ではその情報処理の可能性について考えてみました。
続きを読む ちょっと偉い人たちのパーティに遅れて出席した。「ちょっと」豪勢なパーティは立食・ビュッフェスタイルで、こういう形式の常として、初動の食糧確保に失敗すると、途中からの補給がめったに行われないので、くいっぱぐれる。
そういった関係上、遅れた自分が目にしたものは銀色の大皿に残ったレタスとプチトマトだけであった。悲しいウサギ気分で野菜を安ワインで流し込みながら、軽く挨拶をしてちょっと偉い人のちょっと偉い話を聞いて、愛想笑いと一緒にタクシーで帰ることにした。
帰り道、車の外の景色を見て、考えたことと閃いた描き方を忘れないうちに描いておこうと思う。
ふとニッペルフの絵を見返す。Pixivで投稿されているような作品と比較すると「濃い」。作り方が違うのだから当然である。よく言えば、描き込んでる。悪く言えば、くどくて見にくい。
ただ、この[描き込んでいる」にしても、実際はソフトの力を借りて厚みを出しているだけで、本体の実力がソフトに追いついていないため、物によっては振り回されているなぁとはっきりわかるものがいくつもある。
どうすればマシな絵になるのだろうか?見やすく、印象的なものになるのだろうか?悩みは尽きない。
また、絵が描けたとしても、動きのあるものや漫画とは表現がかなり違う。特にエロを描こうとすると、印象的な「絵」が作れるのかもしれないが、動きのあるシーンには微妙な出来になるのかもしれない。
そこで、今回はその疑問点について考えてみた。
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