きれいでカラフルな絵を描こうとしてもなかなかうまくいかない。輝度やコントラストを考えるというよりも、そのものの持つ色をうまく組み合わせて華やかな感じに持っていければいいのだが、塗ってみるとビカビカになったり、似通った色の組み合わせになることがあったりして微妙な感じになる。
できる前と後でだいぶ違っているのはいつものことだが、せっかく作ってもいまいちの出来になるのはアレなので、自分なりの解決策を考えてみた。
タクシーの窓の外ともう一色
ちょっと偉い人たちのパーティに遅れて出席した。「ちょっと」豪勢なパーティは立食・ビュッフェスタイルで、こういう形式の常として、初動の食糧確保に失敗すると、途中からの補給がめったに行われないので、くいっぱぐれる。
そういった関係上、遅れた自分が目にしたものは銀色の大皿に残ったレタスとプチトマトだけであった。悲しいウサギ気分で野菜を安ワインで流し込みながら、軽く挨拶をしてちょっと偉い人のちょっと偉い話を聞いて、愛想笑いと一緒にタクシーで帰ることにした。
帰り道、車の外の景色を見て、考えたことと閃いた描き方を忘れないうちに描いておこうと思う。
躍動感を求めて
ふとニッペルフの絵を見返す。Pixivで投稿されているような作品と比較すると「濃い」。作り方が違うのだから当然である。よく言えば、描き込んでる。悪く言えば、くどくて見にくい。
ただ、この[描き込んでいる」にしても、実際はソフトの力を借りて厚みを出しているだけで、本体の実力がソフトに追いついていないため、物によっては振り回されているなぁとはっきりわかるものがいくつもある。
どうすればマシな絵になるのだろうか?見やすく、印象的なものになるのだろうか?悩みは尽きない。
また、絵が描けたとしても、動きのあるものや漫画とは表現がかなり違う。特にエロを描こうとすると、印象的な「絵」が作れるのかもしれないが、動きのあるシーンには微妙な出来になるのかもしれない。
そこで、今回はその疑問点について考えてみた。
続きを読むアベノミクスと加計学園の本質 その1
お盆となり原爆慰霊、天皇陛下による敗戦の弁の日になると右左関係なく思想的活動家が元気になる。しかし、いくら彼らががなり立てようとも安倍総理大臣を打倒することや援助することもできていない。
彼らの声はセミの声のように扱われて、時にうるさいが現実世界の状況とはどこか外れた印象を持つ。
どうして彼らの声や活動が我々の心を打たないのだろうか?やはり、中身の思想が空虚で現実がよくわかっていない状態で思いを出すので、重みがないからだろう。
しかし、彼らの大騒ぎに関係なく安倍総理の支持率は若干下がり、多くが「不安」を持つようになってきた。
この不安の原因は何だろうか?
自分の頭の中を整理する意味も込めて安倍総理とその集団が行ってきた経済政策とある程度の結果を総括して不安の根元を考えてみた。
*あまりに長いので、その1、その2に分けました。
その1では理想と結果について、その2では加計問題を含めた本質に触れます。
続きを読む