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キャラクターの視点、作者の視点

【オリジナル】「2017年宇宙の旅」イラスト/ニッペルフ [pixiv]

↑火星人の視点と地球人(?)の視点


面白い話を作りたい!とおもってもなかなか作ることができない。なんでだろうか?と考えているとほとんどやったことがないので文章構成や脚本が未熟であるのは当然だが、やっぱり視点が画一的で一本調子なのが問題かもしれないと感じることがある。

この辺の視点について考えてみた。

 



 物語を作る際、キャラが複数いるとして、それぞれに感情や背景がある。そのキャラクターの組み合わせの数だけ、それに沿った会話や行動があると思う。漫画にしてもラノベにしてもエロにしても、この会話の面白さやテンポが場合によっては絵よりも作品の質を決めている場合が多い。
 また、それを説明しようとした俯瞰的なナレーションなんかもあると思う。


 まず、話の入りやそれぞれの説明として、ナレーションという視点で考えてみる。ナレーションは作者の視点といってもいいと思う。これを入れる際どういった立場で説明するかで話の広がりは変わってくる。背景を完全に説明したり、部分的に説明してそれを徐々に開示して話を広げたりする。

 視点として完全に中立な立場で説明に徹すると機械の説明書のようになってしまい、いまいちその説明にあるキャラクターに感情移入することができない。
 もちろん突き放したような冷たい解説であった方がいい場合もあるが、作者がどの立場でその場面や話を説明するかは物語を作るうえで大切な要因なんじゃないかと思う。

例えば黒髪の女子について説明として
中立的に言えば キラキラと光った黒髪の女の子が立っている
友好的に言えば 美しくキラキラと光った黒髪の美少女が物憂げにたたずんでいる
敵対的に言えば 眼に痛々しくキラキラと光った黒髪の少女が目ざとく突っ立ている

みたいに肯定的に書く場合と否定的に書く場合で同じものの描写でもずいぶん変わってくる。適当に修飾して文章に感情を入れてみたが、作者がどう見てほしいかが変わる。
 読み手に評価をすべて丸投げにすれば、物体としてのキーワードとして光る黒髪と女の子で読者は好きなように連想できる。モブについてはこれが一番いいと思うが、主要人物であれば脚本としてちょっと危険な感じがする。
 だからと言って肯定的に書きすぎて、こいつ最高!としてしまうとキャラとして薄っぺらいような気がする。
 バランスを考えて、多角的な視点から否定的に書いたり友好的に書いてみるとしっかりとキャラを評価が完成するが、キャラの特徴とというかこれからどんなことをするといった強調ができずにアクのない設定に落ち着いてしまう。

 自分にはどうもこの辺の話のもっていき方が唐突であったり、無機質であることが多く、文才というよりも圧倒的に経験値が少ないのだろうと感じるが、はて・・・いい教科書的な漫画であったり、小説なんかはあるだろうか?と読んだり見たりしてきたものを見返してみるとそういった教科書になるようなものをいままで読んでこなかったり、少し避けていたようである。
 強力な背景とそれを支える絵のダイナミックさが売りの漫画であったり、報告書や論文などの全く無機質な結果と考察であったり、文体が非常に特徴的な小説であったりと、一般芸能的なものに触れることが極端に少ないことが分かった。

 エロ本を作ろうとして、話の内容が教科書に書いてあるような説明だとものすごく絵と文字が剥離したようになる。これはこれで面白かもしれないが、普通のエロを作ろうとしているのに変なものしか作れないのはちょっとまずいと思う。エロなんだから男視点に肯定的な文章と無機質な文章の塩梅を考えて作らなければならないのだろう。


 さて、キャラの会話について考えるとキャッチボールにするかドッチボールにするかで、その趣はだいぶ変わってくるのではないかと思う。
 相手の意図を汲んでやり取りをするキャッチボール型では話の説明や進行をするうえで当たり前のものであるが、これを作るにはキャラごとの背景や性格をしっかり作ったうえで書かないと非常にまずいことになる。
 例えば男女で話しているのに、男同士の会話になっていたり、大人と子供の談話なのに大人同士の討論している場合がある。ラノベを頑張って読んでみると、その辺がテンプレート化されているか、わざとアンバランスにして話を進めている場合があり、(単純にそういったものが描けないのかもしれないが)それはそれで伝統芸能みたいな趣さえ感じるが、やっぱり基本的な会話が分かってそれを崩した方が話がしっかりと成立したり、面白くなるのではないかと思う。
 2人キャラがいれば、それぞれのキャラの視点、考え方で言葉が出てこないと、独り言を延々ということになる可能性が高いので、これを防止する観点ではキャラの設定情報は多ければ多いほどいいのだろう。

 会話をしているようで常に独り言を言っているドッチボール型では強い感情やアクションを引き立てるうえで、とても重要な位置を占めていると思う。ただ強い言葉(好きとか嫌いとかの感情や殺すとか殴るなどの行動を示唆するような)をぶつけあっているように見えるが、これをぶつけ合うことで絵の動きを盛り上げるだけでなく、キャラ同志の感情の高まりを上手く表現しているんだなと思う。イメージとしては餅つきみたいなものなんだろう。
 合いの手みたいなもので、最初から最後までワーワー言っていたらとてもうるさいが、
要所要所に入ることで会話ではないが会話として認識される。
 キャラ単独の視点に強調点を置くので、強い感情の揺らぎがあることを理解しないとなかなか書けないだろう。

 こういったそれぞれのキャラ視点を意識して、エロ、NTRの文章を追っているとこの会話に一定の定型があって、それをはみ出さないようにしている。男は常に一定のどちらかというと無感情(ずっとスケベモード)に話続け、女側は後半になるにつれてキャッチボールからドッチボールに移行してるように見受けられる。
 このドッチボール量が増えると、背景にいる彼氏からNTRの間男に心理的、エロ的に話が進むので
彼氏 会話あり→なくなる 
間男 会話無し→掛け声
になっていく。これはよく見ると女は間男とは最初から最後までしっかりと会話していない点が面白いのかなと思う。
 NTRの前後でキャラ視点が男女ともに全く別物になるのが作品の良し悪しを形作るのかもしれない。


こんな感じでどう書こうかと考えながら、読者視点で書いた上記の文章を見直してみると、お・・・おぅ(この文書自体がつまんなくね?)となる・・・
う~ん、参ったなどうしよう。

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