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1週間に1記事を目標にして、考えたことや描いた絵について書いてます。

アニメってこれからどうなるんだろう?

 記憶というものは変なもので、頭も中に入っているものと事実が違うことが多々ある。これはおそらくその瞬間の体調や周囲の環境が影響しているのだろうが、何でもかんでも映像として記録できるようになると、事実とその記憶を検証できるようになる。
 そういった意味では実際の現象を比較するのも大切なことだが、映像作品そのものを見返すことも過去の自分の視点を振り替える意味では有意義だと思う。そういう回顧的な感覚で古いアニメを見ると、やっぱりおもしろいなぁと思う作品がある一方で、見返してみると思い出補正がかかりすぎてなんじゃこれ?と思うものまである。

現在の自分の視点で過去と未来のアニメを考えてみた。

 

【オリジナル】「6月の歌声」イラスト/ニッペルフ [pixiv]

↑うまいかどうかは別にして、素人でも簡単な動画を作れる

 

 


 異なる時間を見るうえで0点補正をしてみる。

 現状のアニメのスタンスはあまり儲からない作品群だと思う。デジタル化と機材の汎用性が高まっていて、全体として映像の質が向上しつつあるが、それに伴う収益構造は構築されていないと思う。綺麗な絵やぬるぬる動く動画を作ってもそれ自体が金になっていない。
 市場としてはゆっくりとした認知と共に市場規模も少しずつ大きくなるが、それを支える消費者が限定されいる一方で、製作者が大きくなり供給過剰の状況でデフレ型のパイの奪い合いになっている。もちろん、収益を上げる優秀な広告主と制作会社はあるだろうが、全体としてはむしろ縮小しているようにも見える。
 大きな収益点としては映画やネットでのPPVによる映像自体の売り上げ、DVDや関連商品の物販とパチンコなどの著作権料などの権利関係があるだろうが、どう見ても消費限界がきているので、構造がタコツボ化している。
 その中でも、多くの作品群が生まれており、絵の美しさや質感としては様々な試みがあって、小粒な良作と金をかけた大作、その他になってくる。宣伝方法も日々洗練されており、表面的な作品の見せ方も先鋭化(極端なロリやグロなどのアイコン化)しているが
それを支えるシナリオや演出で効果音などの徐々に効果を表してくるものに関しては
使いまわしが多く、長期の売り上げを維持することを放棄している面が見られる。

 さて、なんだか悪口みたいな書き方になったが、現状、構造が悪いというのではなくしっかり金が流れれば上手く動く構造なんじゃないかと思っている。ものすごい金が動いていたバブルにおいても、VHSを売ったり単館映画で細々と繋いでいた状態から見ると大成功したシステムであるし、たくさんの人がこれで食っていることを考えても一つの成熟したマーケットであると思うからである。

 このシステム自体たぶんテレビ版エヴァンゲリオンが出たことで急速に拡大した市場だと思う。当時の暗い情勢から宗教的イメージと話のそこら中に謎の単語、探してもわからない考察などなど2001年宇宙の旅ではないが、知りたいでもわからないという心をくすぐる仕掛けはとても素敵だった。
 素敵で終わらず、メディアミックス、大量の関連商品、映画化、パチンコ化、知名度に伴う一般化ともしかしたらできるかもしれない可能性を本当に成し遂げてしまった作品だと思う。儲けのアイデアは昔からあったし、チャレンジも何度もあったが、ここまで収益構造を完成させた作品はないのだろうか。
 それ以前の基本的なアニメに対する社会の視点はおもちゃをどう売るか?が作る側の中心にあり、作品そのものを売るという考え方がほとんど浸透していなかったように見られる。この大ヒット以降アニメで儲かる!という認識ができて、テレビ制作側や投資家からも資金が集まるようになって、ある程度大人でも楽しめるように哲学的考察であったり、社会へのアイロニーであったり、現実とリンクした話がグッと増えるようになる。また、資本の増加と共に作品数が増加して、テーマもかなり広がったように見える。テーマが広かったので、それに触れる人やそれを作ろうとする人が増えたのだろう。今の柔らかい作品と比べるとエロもグロも強く、シナリオもきつめものも多い。
 自分は2000年代後半のちょっと現実社会を反映するアニメがとても好きだが、昨今はそういったものがほとんどないのが悲しい。

 この過去の資本流入は作品数との相関を考えると、現在かなり絞られているといってよい。合同で出資をする形式も利害関係の調整が難しいだろうし、一回こけると倒産する経営状態のアニメ制作会社ではなかなか冒険はできないだろう。
 民主党不況とは言いたくないが、単純にいまいち儲からなかった市場から不況で投資が控えられたことを考えると、上記のテーマや作品群は割に合わないもの、人の興味をひかなかったものが多かったのだろう。
 というわけで、現在に戻ると、パイの奪い合いになって客の囲い込みやタコツボ化していると思うので、似ているテーマや小さな規模の作品を多産してなんとか食いつないでいる状態なんだろう。

 この状況を好転させるためには新しい層の開拓が必要だろう。「構造改革」なんて意味がないと思う。構造を変えて、働いている人を追い出しても格差が出るだけで、市場全体の現状は変わらない。
 やっと儲かるシステムを作ったのに、それを壊して新しいものを作ってもエヴァンゲリオン以前の小さな市場に逆戻りである。必要なのは新しいお客の獲得であり、そのお客を目当てにした資本の流入であろう。
 過去の作品と比べると一目瞭然だが、アニメの映像自体は日々進化している。シナリオテーマも2000年代の大量のストックがあり、その時代に影響を受けた製作者達が余っている。しかし、視聴者ターゲットは限られている。これを使って儲けるには、国内では老人層であったり、文化圏の近い極東、東南アジアであり、エヴァンゲリオンがヒットした状況に似た、不況に突入しようとするヨーロッパ圏の若年層なんじゃないかな?なんて思う。この新しい層に対しても、フリークに訴える方法と一般層の緩く訴える方法もあるだろう。これは手持ちの作品によって売り方が違うと思う。
 日本の官僚群が何となくそれを利用しようとしているが、おそらく失敗するとして、企業側としてはその地域や客層にあったマーケティングをすることで、大量の顧客を得ることができると思う。
 こんなことをもそもそいうのは、すでにそういった日本の「オタク」に関係ない消費者と作品の売り方が出てきているからである。作り手自体が誰に向けてこれを売ろうかと考えながら作っているのは面白い。インターネット様様といったところだろう。遠い将来ではなく4、5年でそういった新しい層に売れる作品が大量に出てくるのだと思う。
 エヴァンゲリオンは情報が不足することでヒットしたが、これからは情報流通を使って既存の埋もれたアイデアや作品をカスタムしていくように感じる。どんなテーマがヒットするかはその地域や情勢によって好みはわかれるだろうが、そういった新規マーケットの開拓と多層的なお客がアニメを見ることで、多くの日本人が好まないアニメや新しい視点の作品が出てくるんじゃないかと思う。
 そうなれば「ジャパニメーション」なんて気持ち悪い呼び名や枠も消えて、ワクワクしたり、考えされられたり、ぼやーとみられる多様な作品がでて来るんじゃないかと妄想する。冒頭に言ったなんじゃこれなアニメも世界のどこかでは大ヒットの可能性が出てくるのかもしれない。


 こういう映像系は優秀な方がたくさんいるので、その人たちを腐らせないで使えれば結構未来は明るいんだろうと・・・
そうなってほしい。

 

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