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1週間に1記事を目標にして、考えたことや描いた絵について書いてます。

同じ色を見ているんだろうか

人によって絵、特に色の見え方が結構違う。どうしてそうなるのか、どうすればよく見えるのかを考えてみた。

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(今週の一枚)海の音楽プレーヤー(pixiv

 

 

 絵を描くということは自分の心象やイメージをアウトプットすることであり、同時にたくさんの人にそれを見てもらうという行為だと思う。

 そのため、見る人の感性に訴える必要があるが、描いた人と見た人でうまく同じ情報は伝達されない。それは考え方の違いだけでなく、個体差、文化差、環境差があって、同じものを見ても同じように見えないためだとも言える。そこで今回は「色」は「差」で他人にどのように違って写るのかを考えてみた。

文化的違い

 同じものを見ていても、国や地域が違うとそのイメージはずいぶんと違う。例えば、「エッチな色」は何ですか?と聞くと、日本ならピンク色、アメリカなら青色、中国なら黄色と国によって認識が異なることが有名だ。

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 このように、文化的・国の歴史的に色に対する認識は大きく異なる場合があり、ある地域では不快な色でも他の地域では素敵な色となる場合もある。

 これは本能的なものではなく、学習によって得られるもので、パブロフの犬がベルでよだれを垂らすように、この色ならこの情景みたいな印象付けがぼんやりとその環境の中に含まれているのだろう。

 これは色の組み合わせにも言えることで、赤を基調とした組み合わせが好ましい場合は、より赤が映えるように色を調整する配色が必要だし、全体の色を平たんにして全体を映えるようにしたい場合は色の彩度がばらつかないようにする必要がある。

 日本に限れば、平たい配色か、逆にビビットになる配色が好まれる傾向にあると思う。なんで全く異なる配色傾向が好まれるかを考えると、漫画や水墨画といった日本独特の線画をとても大切にするためではないだろうか。例えば、線画がぼやけるような配色をしてしまうと、例え色の差が美しくとも配色として良くない色の組み合わせと認識される傾向がはっきりある。

 つまり、文化的に絵全体を色でとらえるのではなく、まず線(白と黒)で境界を捕えてそれを補うために色が存在するという前提があり、それを理解しないとみんなに望まれる配色にはならないと理解した方がいいのだろう。

 

視覚的違い

 同じ人間でも目の機能や脳の機能は結構違う。それが極端の場合、障碍として顕在化して生活に支障が出ることもある。

 例えば、色弱の人と色過敏の人では同じ絵を見ても見えている像は全く違うように見えるだろう。

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 色の認識は第一義には眼の網膜の視細胞によって認識されるが、この視細胞のパターンが人種的にも大きく違うし、環境負荷によって個人の視細胞の細胞数増減にも影響をおよぼす。太陽が強く当たる地域に住んでいる人と、地底でたいまつを手に生きている人では同じ人でも眼の感覚や内部構造は変化する。そのため、色覚は個体差もあるが、生活環境に大きく変化するものと考えることもできる。

 では、たくさんの人が通常の色覚を持っているとして、どんな環境が色の認識に大きく影響を及ぼすのかというと、「液晶モニター」ではないかと思う。現代において液晶画面を見ない人というのはほぼいない。ほんの10年で大きく変わった。スマホ・テレビ・PCの様な個人のものから、電光掲示板やビルの壁モニターなど、街のそここにモニターが存在してユニバーサルな存在となっている。これは国・伝統に関係なく一様な傾向だろう。

 では、どういった色が最もこのモニターに映えるかというと、やはり「青」だと思う。波長が短くエネルギーが高いからだ。ただ、問題があって眼に与える影響が強い分、ダメージが高いので疲れる。

 この疲れは程度の差があるとはいえ、どの色にも言えることで、長時間画面を眺める人にはできるだけ波長の長い赤系統の色が好ましいなんて考えることもできる。

 この疲れは絵に強い印象を与えてくれるがその差は眼の受容によって異なるので受け取る側に認識の差が生まれる。

 つまり、もし環境による色覚を意識するとしたら、青を多めに含んだものであるほどイメージの強い作品が作れるがその認識の差が強く出るので、同じものを見ても違うものを認識する可能性があり作者の主張がうまく伝わらないかもしれない。一方で赤を多めに含むものほど、見る側の認識が近くなるので、作者の主張も伝わりやすくなるのではないかと思う。

 イメージをよりよく伝えたいなら赤系を多くして、誤差を無視しても強い印象を伝えたいなら青系を多くした方がいいのかもしれない。

 

感性の違い

 人の感性は人それぞれだ。怒りやすい人もいればいつも笑顔の人がいるので、どんなものを見ても批判から入る人もいれば、肯定から物事を見る人もいる。そのため、すべての人に好ましい作品は作れないし、個人の状態によって受ける絵の印象も日々変化するのではないかと思う。

 昨日素敵だと思ったものが、今日見ると気持ち悪いものに見えるのだったら、その前後でその人に大きな環境の変化が起こったとみていいのだろう。

 そして、感性というものをもう少し分解すると、どう感じるかとどう見るかという感覚と行為に分かれるのではないかと思う。

 「どう感じるか」でかなりの領域を占めるものは記憶だろう。子供のころ感じなかったことを大人になって感じるようになるのは経験が大きい。恋をした、ケンカした、笑った…など、何かをして、何かを感じた記憶はそれ自体を忘れたとしてもぼんやりと印象が頭の中に残る。

 感性の違いは個性の違いも大きいが、それを担保する何らかの記憶であり、2次的に今の景色を補完・色付けをする場合が多いので、色と記憶を上手く合わせることができれば多くの人に支持される作品になるのではないかと思う。

 例えば、春は恋の季節である。日本の春は桜だから、サクラ色と男女が出会うシーンを絡めると素敵なシーンになるが、アメリカの春はバラやチューリップである。そのため、アメリカ人に合わせるのなら少しきつめの赤やビビットな黄色になるのかもしれない。前のカラムで行ったように感性は文化的なものや環境に左右されるので、それを前提とした記憶を考慮して色選びをする必要があるのだろう。

 もう一つは同じものを見ているようで、人によって見る方法が大分違うという点「どう見るか」である。人によって見え方ではなく、見方、行為が違う。

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 上の写真は極端な例であるが、同じティッシュ箱でも引きで見るのと寄ってみるのとでは違う。引きで見るとお花の絵であるが、寄りで見ると白とピンクと黄色の点集合である。

 このように、物によっても見方を変えると違って見えるが、色においても自然と避けてしまう色・引き付けられる色というのは存在するので、明暗差や色収差といった一般的な視線の引き付けが人によってうまく働く場合と全く働かない場合があることを考えておいてほうがいいのではないかと感じる。

 本能的な性差が行動における感性に係ることも有名だ。

 おそらく本能的に男性を引き付けるなら女性の肌に赤みを若干加えたものがすごく食いつきがいい。しかし、女性はこの赤みにはいまいち引かれないようだが、ワンポイントで瞳のほぼ黒(濃いブラウン)みたいな色に引かれる場合がある。これも本能的に瞳に意識が行く女性が多いからだろう。そのため、男性狙いなら赤みを少し強めに、女性ならワンポイントで黒を加えるとグッと寄りがよくなる。

 

 つまり、感性は記憶している経験に依存し、見ようとする行動によって見ているものが変化することで起こる現象と言うこともできる。そして、それによって見えてくる色も変わってしまうのではないかと思う。

 だから、その多様性のある感性にどのように訴えるのかを考えると、多くの好感・最大公約数的な評価を得ることは難しいので、より多くの人が感じ環境を再現する色を見せて、後から勝手に好き嫌いを言ってもらった方が結果としていい絵になるのではないかと思った。

 

終わりに

 色々考えたけど、色やその組み合わせだけで綺麗な絵を作るのは難しいのかもしれない。その裏にある記憶や本能に訴えたほうが印象のある作品になるのかな?

 …まぁ、人それぞれということで(^ω^)

 

 

 

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