最近、どうキャラクターを配置すればいい絵になるのかなぁなんて悩むことがあったので、それについてまとめてみた。
(今週の一枚)お家に帰ろう(pixiv)
絵や写真では色とか構図とか様々な要素を考えて一枚の作品にストーリーを作るらしいが、キャラクターの配置がその価値を決めることもある。他の人に考える隙や楽しんでもらえるためにはそういった余白的な印象・マイノリティを作品のどこかに作らなくてはいけないのかもしれない。
そう考えた際、様々なファクターを動員してイメージを作っていくわけだけど、キャラクターをどこに・どのくらいの大きさで置くかで意図する内容は大きく異なってくるのかもしれない。
果たして、キャラクターがどのくらいの位置にいればいいのかちょっと悩んだので書いてみる。
キャラ絵の大きさ
純粋にキャラ絵を見ると立ち絵(全身像を出したもの)、バストアップ(上半身を出したもの)、顔アップなど、キャラクターのどこを描くかで絵としての言いたいことや印象が異なることはよくわかる。
例えば、立ち絵とバストアップを比べた場合、絵としての印象や主観客観が大きく異なるのは下の比較を見ればわかると思う。
左の立ち絵ではキャラ全体の説明を意識したものと考えることができる。少し遠く離れた位置からキャラを見ていることになるので、見る人は若干客観的なポジションや他人ごとにように写るのではないかと思う。
一方で、右のバストアップではより顔がしっかり見えるので、もし口が動いたりキャラの視線が移動したとしたらそれにつられて目線が動くだろう。つまり、見る人にとっては会話をするような位置取りをしており、キャラがあなたに問いかけているような印象を得る。
だから、絵としては見ている人が物語の1キャラクターとして印象付けたいなら会話をする距離のキャラ配置であり、演劇を見るように物語を俯瞰で見るひとりの観客として印象付けたいのならより遠くにキャラクターを配置すればいいのではないかと思う。
(猫とお話をする私みたいなイメージ)
キャラと背景
では、物語を見ている人に風景を見せるとして、キャラと背景をどの程度の割合で配置すればいいのか問うと難しい。
純粋な風景画にするならキャラクターを極端に小さく配置して背景の雄大な表現に利用すればいいが、小さくしすぎてもよくわからなくなるので、一定のポジショニングとサイズ感を維持しないと絵の表現したいことがキャラでは手助けをできなくなってしまう。
例えば、上の絵を見る。左はできるだけ空の雄大さを出すために絵の右下にキャラを配置した。一方で、右は太陽と廃宮殿の対比を行うためにキャラの大きさを少し大きくした。
同じキャラをポンとおいているだけだが、その役割は違っていて、左は純粋に背景全体を表現するための指標になっているが、右は人工物と自然のアンバランスをくっつける接着剤として働いている。
つまり、主役はあくまで風景なんだけど、風景で言いたいことをうまく示すためにはキャラの大きさを条件に合わせておかないといけない。
もし、左の絵でキャラを大きく配置すれば、大きくした分、雄大さは消え「キャラたちが見ている」という絵になるし、右の絵でキャラを小さくしたり大きくしたりすると、太陽か廃宮殿のどちらかを優先する絵になってしまい本来の対比が崩れて主張が崩壊するのではないかと思う。
キャラと物語
キャラクター同士が何かやり取りをしていたり、風景の中で行動をしている場合、いったいどのくらいの大きさでどのくらいの数がいればいいのか。
風景を美しく見せるなら上で書いたように風景を引き立たせるようにできるだけ少なく(町など構造物が主体ならモブとして多くともいいと思うが)、風景の距離感を感じさせるような配置がいいが、物語なら当然それがわかる位置にキャラを置かなければならない。
たくさんの人数が動員される例としては戦争である。物語の中で戦争をしているならたくさんのモブと主として戦う兵士を配置する必要があるが、モブはあくまで背景の一つとして考えれば、主要キャラを決めてキャラが次に同のように動くかがわかるように配置しなくてはならないと思う。
物語のワンシーンを示したいなら、キャラ数を少なくして(2人くらい)、絵の中心に立ち絵を少し大きめに置くことで、見る人に客観的な印象を与えると同時に、このキャラが物語を紡ぎますとわかるだろう。
また、物語というのはペタっと止まっているものではなく、次々と時系列が進んでいく「変化」ではないだろうか。
止まっていて先が意図できないようなキャラを配置した場合、そこでいったん物語が止まってしまい、絵としての価値が下がってしまうのではないかと思う。
もう少し言えば、キャラが必ず何かをしている途中の配置、例えば歩いている場合は足を上げている瞬間であるとか、本を読むならページをめくっている瞬間が物語を彩るキャラの配置として正解なんじゃないかと思う。
だから、キャラは物語の内容によって数は異なるが、できるだけ中心にそれぞれ動きの途中の姿勢を全身像で入れればそれっぽいものになるのではないかと感じた。
例えば、上の絵ではネズミの救出作戦のワンシーンである。守るもの、救うもの、上るものなどそれぞれ動きを作って何か意図した行動をとらせた。これによってそれぞれがたとえバラバラに動いていたとしても、「妖精を救出する」という絵の物語を見てくれる人に示すことができた…はず。
まとめ
キャラの配置はキャラをどう配置しようということを前提に考えるべきではないと思う。
まず、この絵は何をいいたいかを決めて、それに最適なキャラを作り出したほうがいいのではないだろうか。
もちろん、全く逆にかわいい女の子キャラクターをいかに引き立たせるかを前提に絵を描くこともあるだろうけど、それはあくまでキャラを見に来た人に向けて絵を描いているのであって、絵を見に来ている人に問いかけてはいないような気がした。
終わりに
もにゃもにゃ行ったけど、なかなかこれだっ!という絵は描けない(;´Д`)
スーパーあ~てぃすとへの道はまだまだ茨道みたいだ(^ω^)
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