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1週間に1記事を目標にして、考えたことや描いた絵について書いてます。

絵の仕上げに迷う

評価の高い絵・いい絵を見ると最後に仕上げをしっかりしている。自分もやってみようかと思うが、なかなかうまくいかない(+_+) どうしようか考えてみた。

 

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(今週の一枚)夏祭りと老猫との出会い(pixiv

 

 自分はかなり適当な性質を持っているので、物事をしっかり納めることができない。それは絵にも出ているようで、名作できた~!!!と思ってもしばらくして見返すと結構な割合で雑なところが目だったりする。

 悲しい。

 まぁ泣いてばかりもつまらないので、仕上げや最後の一味をどうすればいいのかなぁと考えてみた。

 

 

 色を納める

 自分の絵を見返すと、コントラストや明暗差が極端に強かったり、暗すぎて見にくかったりすることが多い。イラスト調にわかりやすいことを前提にしたものであればそれもいいのだろうけれど、普通に絵を描いていてそうなってしまうのは見てもらう人にちくちくとした印象を与えてしまうので、あまりよくないと思う。どうにかしてそれを仕上げでならしたい。

 

概念的に

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(主観的な色のイメージ:めりはりをいくつかのパターンに分けて概念化した)

 

 ポンチ絵にしてみると上のようになる。よくあるへたくそなものは左下となり、自分の絵が右上の山谷山谷のギザギザになっているものが多い。一方で上手なものは山のある部分がしっかりとしてその他の変化が比較的緩やかで一体感がある。

 いままで、いかに山や谷を作ろうかと苦心していたのでそういった技法の記事を描いてきたけれど、それを意識しすぎたのかもしれない。例えば、山を作るハイライトをいかにして入れるか、であったり、谷を作る陰影の色についての考察もした。

 いい絵や印象的な絵を見ていて感じるのは必要なところでこういった技法を適切に使うことで、全体の調和と一部その調和を崩すことなのかもしれないなぁなんて感じる。

 

具体的に

 ぼんやりしたイメージを現実に落としてみる。

 今週の絵では右下の沈む太陽を光源としてその強いオレンジ色を背景に女の子と猫と夕顔がその光を浴び、光と陰を作る。純粋に光が当たる部分にハイライト、当たらない所を黒、もしくは黒のオーバーレイをレイヤーで作ると、非常にガビガビの絵になる。

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(修正前ガビガビ絵:明暗さとコントラストの差が激しいためギザギザする)

 

 上の修正前絵を見ると赤カラムでは人の肌に対して光のオレンジ色と陰の黒がぶつかっており、緑カラムでは反射が不完全なので光と猫の毛がうまく合わさっていない。全体として同じような傾向の個所が多々あるので、各所が目立ちバランスとしても違和感があるんじゃないかと思う。

 そこで今回は仕上げとして、フィルターを使って全体の色のトゲトゲを取ることにした。

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(絵の加工: 左 加工前 右 加工後)

 

 方法は絵を丸ごとコピーしたレイヤー赤のチャンネルを101%に拡大して不透明度25%でオーバーレイをかけ(別記事参照)、それらを合成後、色調補正のレンズフィルターの暖色(この場合オレンジで60%)を用いて全体の色をある程度統一した。さらにもう一度コピーレイヤーを作り、それをぼかし加工し不透明度25%で重ねてみた(別記事参照)。

 結果として全体的にふわっとしているけれど、見せたい部分のメリハリが確保できて、ポンチで言う右下のイメージに近づいたんじゃないかと思う。

 

 方法としては各人の絵の質、描き方で変わると思うけれど(例えば、線画をもう一度重ねて強調とか、全体に薄く同じ色を塗ってぼかすとか、影に色を付けるなど)、ポンチ絵の赤線の部分と青線の部分を仕上げの時に作り出す意識を持てば、ある程度おさまりのいいものが作れるのではないかと思う。

 

枠を納める

 「見せ方」にも通じると思うんだけれど、自分の場合、見てほしいところと実際に見せている場所が違うことが多々ある。

 これは画面いっぱいに色々描きこんだり、遊びを突っ込んでいるせいで、見ている人にいったい何を見せているのかわからないくなることが原因だと思うんだけれど、描きたいのでついついやってしまう(;´Д`)

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(蛇足だけど、実際に枠を描いてみると、ちょっと格式が出る(本文とは無関係))

 

 取っ散らかった状態をどうにかするためには、無駄な部分を切り落とすことでスリム化することだと思う。本来は決められた書式が存在すれば、それより少し大きめなものを作って入りきらないものを切り捨ててゆく方法が一番いいのだけど、その「枠」を自分で作ってしまい、その少し小さめな枠へ作品を綺麗に収めようとすると考えてもいい。

 例えば先週のネズミさんのお買い物の絵(pixiv)の絵の内容を文字にすると、「1500年後くらい、人間がいなくなったショッピングモールでは今でもネズミさんの親子が生き生きと生活をし、人の残した廃墟に植物と動物が共生している。それをコッソリカッパが見つめる絵」となる。

 情報多すぎで分けわかめであるし、一枚の絵でそれを言うには無理し過ぎである。だから、無駄を省き、切るとしたら広い廃墟とカッパとなる( ;∀;)。

 文字にすると「廃墟でネズミさん親子がお買い物する」に収まる。

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(ネズミさん親子をフォーカスした切り抜き絵)

 

 ・・・ということで画面的、意味的に絵を切るとすっきりする。PCやスマフォの画面サイズや各メディアでの見せ方による切り取りもあると思うけれど、絵のイメージより少し小さめの「枠」を設定して、小さくすることを仕上げにしてもいいのかもしれない。

 

テーマを納める

  絵を描く・・・というのは現代では描いて人に見せるまでが一セットの決まりごとのような気がする。鉛筆で書いた落書きも、それ単独ではなく、写真を撮りSNSやブログにアップし、一つでも評価をもらうことで絵の完成となる。

 だから、完成した絵であっても、絵自体の完成が作品としての絵の完成でなく、そこに添える文字であるとか誰に見せようかとすることが最後の「仕上げ」となる。

 

nipplelf.hatenablog.jp

 以前の記事においても述べたが、「人気者になる手段」が現代の「絵を完成させる」ことの一面を持っているのであるから、「誰に向かって発信するか」が作品に重たい意味、現代の本質的絵の価値なのかもしれない。

 だから、そこに添える言葉を間違えると向けた相手に非難されるのは未完成であるし、とても喜ばれ初めて絵と成りえるのかもしれない。この辺のセンスは絵と全く違うけれど、しかし、それが絵に必要なのは痛いところだと思う。

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 (絵と添える一言:誰に向かって文字を書くかで絵の趣も違う)

 

  絵を見る人は大きいお友達なのか、純愛乙女なのか、漫画好きなのか、学者なのか様々だろうし、その人達が絵を見て笑ったりじっと眺めてもくれるために言葉の補助がネックとなる。

 

 情報商材系の馬鹿をだます言い回しや、お気持ち系のアカウントのねちょねちょした言い回しなんかも、明確に誰に向かって話をしているかがはっきりしているので、決まった言葉選びや話し方が確立するのだろう。

 

 様々な手法があると思うけれど、少なくともわかることは絵を描いている最中は無心だとしても、投稿する段でその絵に意味を付け、特定の集団に向かって意図を添えることが必要なことなんだろうと思う。

 

 

終わりに

 絵を見返して荒いな~と思うものが多いけれど、客観的にもどこまで完成形にするかで評価も全く違う。この辺について、気軽にやるか、気を詰めてやるかでずいぶん絵の趣旨が変わってくるので、その塩梅が難しい(;´・ω・)

 にょりっと描いて、キャーキャーされたいけど、そんなことは一度としてなかったので、疲れない程度に一歩一歩作っていくのがやっぱり一番の近道なんだろうな(^ω^)

 

 

 

 

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