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1週間に1記事を目標にして、考えたことや描いた絵について書いてます。

アニメ「ポプテピピック」とネットの公共性

 やばい糞アニメがあると噂されていたが、実際に見てみて、確かに糞だった。
 ただ、自分にとって見るとそのくその方向性は面白く、一般に見て糞コンテンツであるが、その糞度合いはアニメとしての価値というよりも、別のクソな側面をもち、クソっ!と思いながらもつい見てしまう。
 そこでポプテピピックに正当な価値を見出すために、くそ評論をしてみる。

 

【オリジナル】「止まない雪に手をかざす」イラスト/ニッペルフ [pixiv]

↑暗いなかでも火をともすと意外なものが見える

 

 


・内容についての評価
 2話まで見ると、本編の前半と後半でほとんど同じ構成を「再放送」という形で、声優を変えて放送している。正直に言って意表を突かれたし、とても賛否の分かれるギャグなんだろう。
 この試みはOPやED曲まで含めて行われているので、綺麗な映像やドキドキする物語の新興を期待する視聴には全く不向きになる。
 一方で、「人気アイドル声優」なんかを知らなくても、単純に実力のある声優(俳優?)の演技を比べることができるので、演じる人が違うだけでここまで、キャラクターのイメージが違うのかという純粋な驚きがある。

 

 アニメとしての内容はウゴウゴルーガのようなナンセンスな内容が続き、そこにちょっとした批判を織り交ぜたものが全体の軸にあり、アニメ制作者側が何となくやりたかったものを思い付きでぶっこんでいるように見られる。
 これ以降もこういったいわば挑戦的試みがどんどん出てくるのであろうし、これを視聴者への配慮(面白いつまらない)を無視して続くのではないかと思う。

 

 こういったいわば「遊び」は普通(?)のアニメでも当然存在する。例えば、作中の声優のアドリブであったり、数分のインターミッションや隙間の時間のCパートに入れたり、場合によっては1話丸ごとそれにしてしまうこともある。
 その割合をうまく調整するのが製作者の妙であるし、純粋なギャグアニメとして見てしまえはよくあるものだろう。ポプテピピックではこういったナンセンスを意図して作っているので、見方を変えるととても丁寧に作品を作っているともいえる。
 ○○制作委員会(お金を持ち寄って作る)が増えてきたので、全編をネタにしてしまう物は最近見なかったなぁと思うし、その分目新しいのだろう。
 そんな中で、面白いなと思ったことはベースとなる漫画の内容が全体のおそらく半分もなく、このネタ誰考えてるの?といった感じで、フエルトの人形のコマ動画を出したり、実写を入れたりと動画制作の自由度が高い点で、アニメというよりも面白動画としてのイメージである。アニメというよりも、動画としての立ち位置を受容できるかが、楽しめるかの一つの山ではないかと思った。

 

 2話までで結構飛ばしているので、この勢いが続くかどうかはこれからの内容の奇抜さと話題性にかかわっているので、この時点で面白いかどうかはなかなか難しいし、上手く誘導すればとても評価の高いものになるだろうと感じる。


・ネット文化の公共性
 自分がこれに目を付けたのは、漫画を見たわけでも、竹書房のサジェストが指定暴力団から倒産になった経緯からでもなく、火縄人氏の「アサヒスープゥードァラァァァ~イ!!!」の動画が面白かったからである。
 たぶん、漫画でこれを見ても「?」で終わっただろうが、ニコニコでリピート再生をすると、妙に面白い。彼の声あてをしたその他のポプテピピックの動画もなんだか妙に面白い。
 ほんの数秒程度の作品ばかりだが、ハウリングさせたちょっと野太い声から奇声を発する感じと漫画の勢いがよくあっている。

 おそらく、本来の百合ナンセンス漫画としてはいまいちだったのだろうが、自社サジェスト汚染のインパクトと、こういった誰でも遊べそうな気軽さがアニメの導入になったのではないかと思う。

 

 それを基にアニメを見ると、とにかくいろいろ混ざっている作品だと思うし、作りのチャレンジとしては面白いし、これからの映像作品の一つの方策であることは間違いない。しかし、たくさん混ぜても、映像単独ではまだもう一声足りないし、10年位前だと深夜にやってる変なアニメでおしまいだったと思う。

 

そこでネットの利用になってくる。

 

 公式に糞アニメを冠しているので、あほだのくそだの罵っても、評判はそれ以下にはならないし、いい宣伝効果になる。また、わかりにくい内容(ネタ元がよくわからない)であったり、作品の見方であっても、どうやっても1通りにならないので、好き勝手に解釈できる。

 私は、こう思う。好き。嫌い。クソ。最高。と好き勝手に話のタネにできる。
 最初から作品の価値を最底辺において、たとえ悪評があっても問題ないように宣伝している様やコンテンツ配布の様式を見ても、かなりネットの話題性、自由度を優先にしているように見える。

 つまり、映像のボケと視聴者の突っ込みで初めて1作品となるような形である。

 

この作りがSNSなどで意外と好感触になるのはどうしてだろうか?

 

 今、SNSのテキストに日本語で氾濫している情報の多くが、こういった感情を基礎にしたデータの集まりであり、それに社会的正義であったり、著しくおかしな現象を見ると、吸い寄せられるように情報が拡散され、空間が生まれる。
 当たり前なことや綺麗な物を見せられても、ふぅんで終わるし、何らかの感情を刺激するスパイスがないと情報の拡散や議論の種になりえない。
 例えば、本来正しいはずのテレビや新聞が悪いことをすると大騒ぎする。
 例えば、たくさん金をかけて作った素晴らしい映画は大した騒ぎにならない。
 こういった常識の落差を感情に上手く結びつけないと話題性からの金儲けにならないが、逆に行ってしまえば、その揺らぎが少しでもあれば大騒ぎになりえる。

 

 例えば、けものフレンズである。
 以前自分はちょっと好意的に書いたが、ここまで大騒ぎになる映像作品ではないと思う。理由は簡単で、これを作った監督の他の作品の再生数がそれほど伸びていないからである。
 SNSでワーワー言われたように彼の作品が素敵で美しく、感動するものであれば、たくさんのファンがおり、その他の作品の再生数も伸び、彼の会社も大儲けできるだろうが、ついぞその事実もうわさも聞かない。
 つまり、映像作品のけものフレンズの評価というよりも、それに伴う議論や付属する成功ストーリーの情報が実は大切で、いわば「場所」としてのけものフレンズが人気になったのではないかと思う。


 完成された作品価値”10”のものを作るのではなく、こういった作品価値”5”(といっても十分価値がある)をみんなで遊べる場所にしようという感性はずっとあった。
 例えば、ニコニコであれば「例のあれ」であるし、ゲームであればマインクラフトかもしれない。
 こういったネット空間の中のちょっと整った「場所」はたいていの場合、なんとなく醸成されて、たまたま作った人が儲けていたように見えたが、最近は少しずつ意図的に商売、コンテンツとして作りだそうとするものが増えてきているように見える。
 ポプテピピックの場合は、これから話が進むので、どういった「場所」になるのかはとてもわからないが、少なくともそういった空間にしようとしてるのはわかる。

 

 自分の中のイメージでは、いままでのネットは田舎で何となく遊んでいると、良さそうな窪地をみんなの集合場所にしていたが、これからのネットは都会のど真ん中で宅地造成を行って、区画整理によって公園を作ってそこでみんなで遊ぶようになった感じである。

 ニコニコ動画が田舎の窪地として価値を見出したように、これからは都会の公園を誰が作るかがアニメを含む映像作品の一つの価値になるんじゃないかな?なんて思う。
 つまり、どのようにして、議論をしたり、感情を吐き出す場所を作り出し、ある程度の安定性を持った「公共の場所」になるかがヒットする上において大切な一要素であり、アニメ「ポプテピピック」がそのメルクマールなるんじゃないかな?なんて思った。

 

 

 この作品がネットの公共の場所になろうと感情の便所になろうと、その作品自体は”糞アニメ”である。
 だから敢えて言いたい。
 このアニメはクソだし、視聴することはすなわち人生の貴重な時間を無駄にすることである。
・・・でも見ちゃうんだな(ビクンビクン)

 

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