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1週間に1記事を目標にして、考えたことや描いた絵について書いてます。

お金の変化とキャラの価値

エロ第2作(←自紹介サイト)の予告、販売登録も何とか終わり、

さぁ宣伝活動だ( ´Д`)=3 フゥ
という段になって、ずぶの素人がデジタルデータを販売できるとはずいぶんと便利な世の中になったなぁと思う。

 こういった現物を伴わない単なるデータのやり取りでのお金稼ぎを連想すると、10年位前なら、electronic commerce 電子商取引なんて言ったら、物品の企業から個人の取引が主で、個人から個人の自分のようなデータ販売はあまり一般化していなかったようなので、ずいぶん様変わりしたなぁと実感する。

 

 今回はこういったお金そのもの価値やキャラクターの意味の変化についてつらつらとかっこつけて書いてみました。

 

【オリジナル】「ダッシュ!」イラスト/ニッペルフ [pixiv]

↑忙しい朝の変化

 

 

 お金の実体と対象の変化とキャラクターの変化を考え、そこから実際にどのようにシステムを使用するかを考察し、最後に1行で要約しました。

 

 

・お金の実体と対象の変化

 

お金のことを考えると頭が痛い(;´・ω・)
 まぁそれは置いとくとして、その価値については各時代ごとや、その地域によって考え方が違ってくる。大昔であれば、金という現物が物と交換するための証であり、大金持ちといえば、その名の通り金を大量に持つ人のことを指すはずである。英語でも、○○ゴールドマンとかゴールド○○のようにそれに関わる名詞がたくさん残っている。
 しかし、物流の活性化と共に、その金の引換券として紙幣や証書とその記録機構が発達して、金そのものはどこかに保存され、必要に応じて出し入れされる存在となった。
 さらに時代が進むと、紙幣自体がお金の本体となり、金の交換券ではなく、紙幣そのものが商売の「信用、クレジット」というものを保証するものに価値を変えた。
 そして、現在は紙幣という紙と信用という実体のないものを切り離して、信用のみで物が買えるようになる過渡期にあると考えられる。クレジットカードやおサイフケータイなど、自分の情報から信用を引き出して物を買うのである。

 言ってしまえば、物のやり取りにおいて、金や紙などの物質に信用を入れて物流を担保していたが、その担保すら必要なくなってきたのである。

 また、その物のやり取りも減少し、株やFX、漫画やエロもデータを回線を通じてやり取りをするようになった。

 つまり、お金というデータを使って、ソフト上のデータのやり取りをする、まったく実体を伴わない何とも不思議な空間が我々の目の前に当たり前のように存在するようになった。金庫に大量にあった金塊が、その人そのものに付属するデータになり、信用や権威といったあやふやなものも0と1の集合体によって一応の情報になってしまったと言える。

 

 ものすごい量のデータがいきかい、活発な取引によって人の豊かさが増してきているように喧伝される。
 しかし、データ化によって、実体としてのものの移動はかつてほど活発ではなく、日本や韓国などのある程度発展した地域において、物流はむしろ減少傾向であるのかもしれない。お金としての貿易額は増えても、物を作る人やそれを売る人の生活はむしろ悪くなるのはそのためであろう。

 こういったデータのみの移動によって富を得る人が増え、実物を動かしている人は儲からないようになるシステムはいずれバランスを崩す可能性はあるだろうが、こういった信用価値の変化とその流れに乗ることで、ある程度の利益を得ることはどんな人にとっても必要なことなのではないかと思う。

 


・キャラクターの変化

 

 アニメで言えば戦前ののらくろであろうし、漫画であれば江戸時代の浮世絵なんかにさかのぼることができる。
 これらキャラクターの価値そのものは時代に関係なく、様々に変遷していてメディアを乗り継ぐことはあっても、価値という点に関してはそのパターンの幅は広いが種類そのものはあまり変わっていないようにも見える。
 この限定性は感情としての人間という生物が昔からあまり変わっていないからかもしれない。人間は感情があって、悲しければ無くし、嬉しければ笑う。三大欲求といえば、食欲、睡眠欲、性欲で変わらない。
 基本的にキャラクターの役割はこういった嗜好や思想を誘導するものであったり、その時代の情景を通じてそれを表現しているものだと思う。

 のらくろであれば、軍隊に「好き」という感情を誘導する。ジュースのQooクーであれば、「可愛い」というイメージと「美味しい」とイメージを表現する。エロい女の子の絵であれば、「セックス」を連想させる。こういった生き物としての感情を引き出し一定の方向に向かせる役割を追ったものがキャラクターであるとすれば、日本神話に出てくる神様さえキャラクターなのかもしれない。

 

 しかし、普遍的に存在する感情や欲を引き出すキャラクターの役割は変わらなくても、その表層は常に変化する。
 「女の子」をいうフレーズを取ってみても、写実的な弥勒菩薩のような仏像からデフォルメされてしっぽや耳のあるアニメキャラクターまで見てくれや追加オブジェクトは変化してきて、その時代ごとに強い流行なんかも発生する。

 生きているのが苦しい時代であれば、美しい死後の世界の天女様を描き、戦争が盛んなら戦士や兵隊のキャラクターが敵を粉砕する。その場所や時代の現状に即したキャラ設定と色付けをして、そこにいる人たちを興奮させる。

 さらに、江戸時代のエロ本を覗くと、あのヘチマのような顔と一本線の猫目を見ても、現代人にとっては性欲の対象にはなりにくい。30年くらい前の、エロゲーのドットの荒い絵を見ても、今のハイティーンの下半身は反応しないだろう。
 こういったキャラの好みはある時期に集中的に見た、見させられたものに強く影響され、デフォルメが綺麗に完成していても、それを見ていなかった世代にとっては欲を引き出すことができない。

 つまり、キャラクターの絵の価値は動物的な普遍的な価値だけでなく、各世代や個人ごとに存在しているため、集団としてのヒトを考えると、キャラクターは常に変化してとらえようのない虚像といえる。

 


・過渡期にある変化と不確定な価値の意味

 

 お金そのものも変化し、キャラクターの好みも日々変化している。その流れに身を任せていると、変化や不確かさなんかには何となく気づかずに、ただ流されるばかりになる。こういった無自覚は生きていくうえでとても大切なことであり、生き物の知恵なんだと思う。
 しかし、金儲けを考えるとよろしくない。より強い変化を煽って、その返しで利ザヤを稼がなければ商売として利益が出ない。

 

奇妙な一例がある。
 アニメをネット販売することは、不安定な信用で不安定な虚像の売り買いをすることであり、何の意味もない・・・という人がいる。
 社会に大切な勉強をしなさいという教育家や労働こそ人間の本質であるなんていうブラック企業のオーナーでもいい。
 しかし、彼ら評論家は口先と頭の中では考えは違う。道徳は・・・正義は・・・なんていう人たちの本質はポジショントークであって、目的、彼らの思想の核は自分の欲求の追求であることが多い。
あれこれ言って、お客に感情の波を作り、利益を上げる。

 非常に面白いのが、実際に彼らに会うと、追及している姿はショーの役者をやっているだけですよ~という人が多い。理解して、彼ら自体がテレビのワイドショーでキャラクターになり、愉快不愉快の感情を引き出すバーツになっているのだ。極端な発言をして人の耳目を集めて、ショーをやったり、会社の宣伝をして意図的に彼らの虚像を大きくしている。
 お金の価値そのものは常に変化していても、それを操る実体としての人間が常に一定の生物としての体を持ち、感情によって動く限り、その変化も限定される。体の緩やかな平準化をかき回して、感情を動かすのが彼らの本当の役割らしい。

 つまり、評論家という虚像がアニメの虚像を否定しながら、実体のないお金という変化する信用を得るためにその虚ろな価値を大きくしようと日々頑張っているのである。

・・・なんだか虚無主義に陥りそうだが、テレビやメディアというものはそういうものなんだろう。

 

 衣食足りて礼節を知るというが、キャラクターの価値やポジショントークを見ていると、むしろ、生存に余裕が生まれると感情が穏やかになるため、礼節を壊すために、そこをぶん殴って心臓をドキドキさせることにお金という信用を使っているのかもしれないなぁなんて思う。

 もしそうなら、それに乗っかって、こちらから勝手に意味を付けて、利益を吸い出そうとあがいてみるのはどうであろうか?

 つまり、過渡期にある信用の変化やそれに伴うキャラクターには意味などない。逆に行ってしまえば、勝手に定義づけしてしまい、自分の欲求に結び付ける道具にしてしまえば?

もっと言えば、これらの意味は

 

「ご自由にお使いください。ただし、自己責任でお願いします。」

 

以外のなにものでもないのではないか?

そう、エロを売りたい!金儲けしたいゲヘヘというのも現代日本人として、やはり正しい行為なのだ・・・

 

 

 

1行要約 たくさんエロ本売れたらいいな( ˘ω˘)

 

 ☆同人CG販売中

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