夏、東京オリンピック!と問われて連想するのはなんだろうか?
1964年を経験された方は東京音頭かもしれないし、2020年を予期する方は東京周辺の再開発かもしれない。
そこで、はて自分はどうかな?と自問すると出てくるものは大友克洋先生のAKIRAだったりする。
エロい絵を描こうとするニッペルフとしては今まで通りコッソリ活動を続けたいが、「オリンピックを機に」足下でいろいろなことが「未来」に向けて準備されていてちょっと不安になったりする。
プレ大会を考えると、もう2年もない国家行事とそれを踏まえたエロの取り扱いについて考えてみた。
【オリジナル】「待ちぼうけ」イラスト/ニッペルフ [pixiv]
↑待っている時間は短いようで長いのかもしれない
大きなくくりでオリンピックというと、国威発揚からナチスの宣伝、平和の祭典から米ソ冷戦、スポーツ商業化からテレビを使った大規模マーケティングなどその色合いを少しづつ変化させて生き残ってきた。
最近では開催に立候補する都市や国がその費用負担の大きさから減ってきてどちらかというと厄介行事のたらいまわしのような印象がついてきているのは面白い・・・というか不思議な気分になる。
この不思議というか違和感がなぜ沸くかというと、少なくとも開催することで非常に大きなお金が動き、必ず開催都市に巨大なモニュメント施設などの痕跡を残すので、その実物資産とイメージを上手く利用すれば投資に見合った利益が得られるように見えるし、ふわっとした理由で金儲けができるのなら誰もが食いつきたくなるのに、実際の引きはあまり強くないからである。
まぁ、実際はそう甘くはなくて、利害調整や発展した都市の再開発なんかも関わって来て、言い方を変えれば、すでに機能している都市という心臓、血管をそのまま入れ替えるようなことをしなくてはならないので、大概の場合そう上手く利益は出ないから食いつかないんだろう。
さて、この難しい行事を、特に東京のようにぎちぎちに開発した都市部で大規模再開発をしようとすると、無理だろうと考える人がいるのは当然だし、こんな短い工期で本当に完成するのか?という疑問を抱く人が多いのも至極まっとうなことだと思う。
自分も観客的立場から計画予想図みたいなものを見てみると、半分でも進めば大成功だろうという意見に落ち着く。
外野からでもそう見えるので、現都知事の小池氏の政治闘争に巻き込まれつつ、この難事業に挑む人たちは純粋にすごいなと思う。
利害を抜きにして上物だけ考えても、道路の引き直しであったり、流通の待機スペースの確保であったり、用地確保やその予備空間であったり・・・
ゲームみたいにクイックひとつでポンと整地できないので、う~んひとつしくじるとドミノ式に後期工事まで・・・という現状でもかなり綱渡りな状態なのかも知れない。
ただ、成功するにせよ失敗するにせよ、実物資産は残るし、その実績を閉幕後に活用するかでその評価は大きく異なってくるので、作るものの減価償却を考慮に入れても10年、場合によっては50年後にその成果がはっきりしてくるという何とも気の長い話になる。
評価については本当にやってみて、維持してみなければわからない。
現実の2020年は山あり山ありだが、空想の2020年はみんなの心の中にいろいろな形でイメージとして広がっていると思う。
少し古い小説や映画でのイメージはチューブの中を車が走っていたり、超能力を得た人類が滅亡しかけたり、核戦争後に復興していたりする。いずれにしろ、よくわからない「未来」なのである。
こういったイメージの中で、自分として強く印象に残っているのが、AKIRAである。AKIRAで描かれる「未来」は生化学的に成功した超能力開発とそれに起因した第3次世界大戦後の復興しつつある東京という面白い設定だが、ストーリーラインはその後始末にちょっとやんちゃな少年少女が麻薬や思想に関わったりするニューエイジ的なものなので、新たに読む人には好き嫌いが分かれるんじゃないかという作りになっている。
この世界での東京オリンピック工事周辺では主人公達以外のプレーヤーが無能行政と左翼活動家と宗教団体と汚職政治家といった感じで現実の集団の数より少なかったり、戦争でほぼ更地になった土地の利用だったりするので、イメージとしては1964年の東京オリンピックをベースにしたような感じである、
そんな中で、話は進み、オリンピックは開催まではいかずクーデターと東京崩壊でしっちゃかめっちゃかな状態になってゆく。
話の中では人間の「新しい可能性」の無理解が混乱の原因としているが、たとえテツオやカネダがいなくて、無理解が解消されたとして、劇中での設定では果たして開催できたのかな?というような気がするほど人々の雰囲気がアンバランスだったりする。
なんとなくではあるが、このアンバランスな状態は今の都政とオリンピックの状態にも当てはまるような気がする。
もちろん、自衛隊がクーデターを起こすのでは?!とか、現都知事が暴走するというのではなく、もっと単純に目標、ゴールがオリンピック計画には見えない。
もっと言うと、最低ここまでやらなくてはならないとかの最低ラインが現実に絶対不可能だったり、ちょっとのミスもできないようなキツキツの計画だったりして、まるで夢の中を歩いているようなフワフワした近未来予想図がそこにある。
例としてわかりやすいものが、豊洲問題だが、技術的に不可能かつ無意味な無毒化をするような計画を作っておいて、実行したらできなかったし、もうそこに移るしかない現状を作ってしまっていて、果たしてこれは都市計画なのかと首をひねりたくなる。
もちろん、左の活動家におもねった結果なのだが、豊洲の立派な施設が稼働できたとしても、計画としてはなんともお粗末な感じがある。
東京オリンピック計画はこういったお粗末さんがたくさん集まって一つの影を作っているので、当然、全体のゴールもなんだかよくわからないのだろう。
さて、このふわふわ計画の中で我らのエロコンテンツが規制の対象になる可能性がある。
前提とし知っておくべきことは児童ポルノ~なんかの時に、正しい日本文化、子供の性、外国の人権団体が強くロビーしているので・・・など色々な屁理屈で、
一度
「強く議会提案されたこと」
である。
政治運動のセオリーとして、一度法制化可能性を持つと、折をみて何度も何度もしつこく提出される。そして根負けして最後には法律となる場合が多い。この点から、オリンピックの目的が明確でない事を利用して、わけのわからない理由で様々な物事を押し込もうとしている集団はあるし、選挙関連で「清い」イメージの一環として押し込んでくることも考えられる。
そこで注目されるのがネットや同人即売によってある意味無秩序に広がったエロコンテンツの制限である。某出版社や某無修正動画サイトが摘発されてたりしたが、それとは別に、制限が玉虫色であることが美徳の世界でどうもしっかりと線引きをしたい方々がもにょもにょしているように見える。
場合によっては今年、来年の法改正で販売に関して罰則化まで行く可能性もあるし、そこまできつくなくても各団体に「要請」という形で、配布や販売がより取り締まられる事になるんだろう。
もうちょっと具体的に言えば、
「オリンピックを機に」露出の高いコスプレの自粛
「オリンピックを機に」エロ系ネット販売、配信のルール化
「オリンピックを機に」認定マークの発行
「オリンピックを機に」コンビニからエロ本撤去
などなどの「オリンピックを機に」したオトナ側への利権化と管理を行おうとする試みが増えるだろう。
まぁ大抵の観光客はエロや綺麗汚いなんてたいして気にしないし、嫌悪する方が少ない。むしろその文化的な「差」を楽しみに来るので、それを隠したり無くすことは観光資源としてマイナスだったりする。
オリンピックという宣伝を使って東京を、もしくは日本を楽しもうとする人たちの邪魔をするようなものである。
しかし、こういったものの規制強化に賛成する方の中には外国人(白人、アメリカ、ヨーロッパのおしゃれな人)に見られて恥ずかしいという方もいるかもしれない。我々の恥の部分は極力見られたくないと思うのも感性として最もかもしれない。
そういう方々に知っておいてほしいのは、「外国からのお客様」は実際はほとんど中国人や華僑、朝鮮半島系である。恥ずかしがる人のイメージにある美しい白人外国客は多くても2割程度である。たいしていないし、これからもたいして増えない。
その状態で海外に向けてオリンピック関連の宣伝もそれほどしていないし、当然、ヨーロッパにおいて(ちょっと範囲が広すぎるが)東京オリンピックに関心があるというアンケートも出てこない。
もちろんこれから欧米に向けて、大々的な広告を打って集客を図る可能性もあるが、現状のふわふわ計画でそこまで考えているか疑問である。
そのためこの割合は大きく変わらないだろうし、やっぱりたくさん来るのはそういった極東の「お友達」になる。
だから、今まで出していたエロを急に隠してもたいして意味がない。
ではなぜ、「オリンピックを機に」エロを含めたいろいろなことをやろうという動きがあるかというと、ひとつは理由がこじつけやすいという点があるが、もう一つは1964年のオリンピックを経験した人たちがオリンピックによって日本が大きく変わったという自己イメージを共通して持っているからだと思う。
そういう言う人たちにとって「オリンピック」とは希望にあふれた「未来」なのではないだろうか?高齢の方々と話すとそういった一般化した成功のイメージを持っていることを強く感じる。
特に強く主張する人たちの中には清く正しい日本人に生まれ変わるのだ!という気味の悪い日本人観が見え隠れしたりもする。
ただ、それを経験していない側としては甚だ疑問だし、オリンピックがあったから今の日本があるのではなく、当時は働けば働くだけ給料が上がり、生活が豊かになったから、成功した人が多かっただけである。
正直、オリンピックやってもいいがそんなことより時給や給料をもっと上げて、来年にもっといい生活がまっていると示す方が先だと思う。
もうすぐ漫画でみんなが妄想していた「未来」がやってくる。
「オリンピックを機に」より美しい「未来」を夢想するのもいいだろうが、薄暗がりで(・∀・)ニヤニヤしながらエロ漫画を描くアホもいることも少しだけ理解してほしいなと思った。
☆同人CG販売中