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1週間に1記事を目標にして、考えたことや描いた絵について書いてます。

ロリコンとは悪なのだろうか?

 近年、表現規制であるとか子供の人権とか法律的な制限をかけようとする試みが日本でも活発になってきている。その一方で元文部科学省事務次官が児童売春に近いことをしていたりして、何やら本音と建前が乖離してきて非常に滑稽に映る。
 「性」、もっと言えばどんなタイプとやりたいかについて、果たして社会や国が勝手に決めていいのか?という問題にぶつかって色々混乱しているようにも見える。

 ではそもそも何で外国から来たロリコンという概念が極端に否定されるのか考えてみることにした。

 

【オリジナル】「このまま晴れますかね?また降りますかね?」イラスト/ニッペルフ [pixiv]

↑同じように見上げても考えていることは違うのかもしれない。

 


 こういった嫌悪については問題が感情的であったり、道徳的であったりとこんがらがっている場合が多いので、ロリコンそのものよりもその背景をみることにして、
1、子供の価値
2、社会の信用
3、現実社会での犯罪
の3つのテーマで考えてみることにした。

1、子供の価値
 哺乳類動物の親という視点に立つと、ホルモンバランスの観点から守りたい!育てたい!という欲求が当然のごとくあふれてくるが、ある一定の時期を過ぎればその欲求は急速にしぼんで親たちは子供を他人、もしくは集団の一部として扱う。
 そういった意味では人間の子供に対する愛情はとても長く、一種独特な様式なのだろう。少なくとも10年以上の長期にわたってひとところで暮らすには理由が必要になる。
 原始人はまとまって住んでいないと死んでしまうといった危険があったのだろうが、現代では自分の親がやっていたので自分もやるといった自らの記憶に基づいた行動やその社会が生む価値なのかもしれない。

 では、子供そのものの価値は人間社会ではどの程度あるのだろうかと考えると、そのコミュニティの社会制度の完成度で大きく違うと思う。


日本であれば子供は負債であり、アフリカであれば資産であると思う。

 

 日本で1人の子供が大人として完成させるためには、親や社会は何千万という金を投資ししなくてはならず、その投資自体うまくいくかどうかわからない。病気になるかもしれないし、出来が悪いかもしれない。だから、とても慎重に考えて結婚しても1人もしくは2人作るのがやっとである。きわめて高いリスク資産となる。
 一方、アフリカであれば、特に教育する必要もなく、言葉をしゃべれて、動ければいい。食べ物さえ与えれば働いてくれるので、子供を作ることはむしろその親にとっては有利に働くことが多く、多産となる。だからよく盗まれて、少年兵になったり、農奴として利用されたりしている。
 逆の書き方をすると、日本ではそれだけ手間をかけたとても大切な宝石であり、アフリカであれば替えの効く石ころみたいな認識となる。
 だからこそ故意にダイアモンドを傷物にしようという輩には厳しい視線が浴びせられるのかもしれない。


2、社会の信用
 社会的信用を得ようとすればどうすればいいだろうか?朝起きて学校・会社に行き、社会生活をして土日は休めば一般人として信用ポイントみたいのものが徐々にたまっていく仕組みなのだろうか?
 確かにそういった毎日の積み重ねは心情的には大切だろうが、実際はほとんど信用価値を持たないと思う。独身で10年休まず会社勤務しても、会社が倒産すればそれでおしまいである。
 信用、クレジットというものはとてもアヤフヤなものでなんとなく決めている面がとても大きい。結局それを担保する実態、実体がなければいけない。
 実際の信用行為としては、正しい手段で銀行から金を借りて返し続ければ、次も返せるだろうと少し多めに借りられる。
 実物信用としては、貯金であり、不動産であったり、「家族」であると思う。日本的基本の信用構成は正社員のお父さん、専業主婦のお母さん、2人の子供と犬、持ち家と車が
「日本人として正しい」信用のあり方らしい(ちょっと古いかな?)が、これは場所や考え方が違えば変わってくる。

 資本主義的に言えば、信用はお金をどれだけ借りられるかが一つの指標であり、一回クレジットカードの支払いが滞ると、信用は0もしくはマイナスになり金が借りられなくなる。都市部ではほとんどクレジットカード決算が基本であるので、信用の棄損はイコール社会的な死を意味する。

 特にアメリカ的観念なんだろうが、ファミリー、家族というカテゴリーを大切にしましょうという考え方がこの信用にとても重要となる。たとえ宗教的に好ましくないゲイであっても神の前で結婚式を挙げたり、子供を養子に取ったりしてとにかく家族という体裁整えようとする様は信用を作るための強力な社会の圧力なんじゃないかと思う。
 この家族を使った信用創造において、かなり重要な指標となるのが子供の育成になる。1で書いたようにある程度社会が発達すると、親にとって子供は負債になる。しかし、資本と考えれば悪いことではなく、むしろ、この負債をいかにして維持し、成長させるかでその人の力量が試されるという感じで高評価の対象となる。

 しかし、こういう考えが行き過ぎると、親が子供の首にひもを付けて、犬のように管理したり、常識をわきまえず子供の写真をネットに挙げ続けて、私は立派な親ですといった感じの一種異様な行動をとって批判や疑問を浴びたりしている。いずれにせいよ現状様々な方法で子供を使って、自らの信用を作ろうとする試みがなされている。

 そのため、こういった個人の経済的指標、持ち物となる子供をどうにかしようとする行為そのものが、個人に対する資産の毀損と共に、商売の指標を不正に破壊する社会的に許されない行為として認知されているのかもしれない。


3、現実社会での犯罪
 日本はロリコン大国!なんて馬鹿がいるが、実際はとても少ないし、愛好者はどちらかと言えば、女性経験が少なかったり、単純に子供と話したかったり、純粋な恋愛をしたいというごく動物的で自然な人たちが多いような気がする。
 もちろん、どうしようもない犯罪者や子供じゃないと勃起しない本物もいるが、その割合はとても少ないような気がする。

 この比較はEU域内や北アメリカ、非イスラムのアジア国家を見ての話である。はっきり言ってこういった地域には本物のロリコンがとても多い。本当に子どもをそういった目でしか見ていない人間がふつうにいる。
 社会的地位に関わらず、子供に対して穴、棒として扱ったり、残虐な行為を実際にやっていたりする。

郊外のちょっとさびれた道をいくと、麻薬目当てで売春をする10代前半がいたり、
町全体で組織的に子どもが拉致されて別の地域でダルマになっていたり、
国が破産すると万単位で子供がいなくなる。
 こういった異常な状態を是正しようとしても、社会の上部にそういった利権や利用者がいるので、まったくよくならない。
 こういった理解できないニュースが天気予報のように当たり前に流れていることを考えると、彼らの社会的建前を見ているととても美しいが、実際の下半身問題はとても汚くて根深いのだろう。
 もちろん割合の話で、大概の人たちは「普通」なのだが、そういった不安や歪んだ性は文化的に内包されているように見える。

 雄ネズミを小さなケージたくさん入れて、生活環境を悪くすると雌役ができてネズミの性のはけ口となる。異常性愛は簡単な社会のネズミの中でも確認されるので、複雑な社会を持つ人間にも確率的に必ず出てくることなのかもしれない。それが宗教的に否定されても、生き物というのはそういうものなのだと思う。
 この当たり前の歪みを利用して金儲けをするのだろうが、上で書いたような例はやはり異常だと思う。
 キリスト教圏では人種によらず(アルバニア系がイングランドの町を襲ったり、フィリピンで島ぐるみで児童買春をしたり)多発していることを考えるとどうしても人間に対する考え方自体が歪んでいるのかもしれない。
 宗教、道徳的に異常とみられることが普通に起こっていることは別に対処しなくてはならないが、現実にこの歪みが大きくなりすぎているために、それに対立する「正しい」試みも厳罰化に向かってしまうのではないだろうか?


 子供の価値の変化や信用の意図的な増大、組織的性犯罪の増加という点を指摘してみた。これらについて彼らは常識としている自分の正しさを無理に押し付けようとして
さらに窮屈になり、悲鳴を上げているようにも見える。結局ロリコン反対派が暴れまわっているのは、子供を助けようというより、歪んだ現実をただ否定したいだけなのだろう。いま日本にはその叫び声とツバキが飛んできて大変不愉快な状態なのかもしれない。

 もうちょっと楽に考えて、おっさんが女子高生ぐらいとなら恋愛してもいいような気がするけど・・・厳しいんだろうな。
 心情的には憧れやお金、プラトニックな恋など様々な要素のあるロリコンには賛成であるが、好ましくないロリコンもいる。
結局、お互い納得できるなら、年齢は関係ないんじゃないかな?

というわけでロリコンは正義である。

 

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