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1週間に1記事を目標にして、考えたことや描いた絵について書いてます。

私があげたいものとあなたがほしいもの

 

この季節歓送迎会が徐々に増えてくる。
 3月はおかえりなさいやさようならだし、4月になれば初めましてよろしくお願いしますという言葉のやり取りを場合によっては日に何度もやらなくてはならない。

 先日海外から帰ってきた同期や同窓の集まりがあって、たくさん久しぶりとかおかえりなさいというやり取りを行ったが、その席で身の上話と共に、話のテーマとして当然それぞれの今の暮らしやこれからについての話が弾んだ。

 

【オリジナル】「指示待ち業務」イラスト/ニッペルフ [pixiv]

↑自分はずっと待ち続けているが、何を待っているのだろうか?

 

久しぶりに会ってみると、顔つきが変わっていたが、

そのステータスも十人十色になっていた。
学者もいたし、自由人や引きこもりもいた。

医者もいたし、元犯罪者もいた。
貧乏も金持ちもいたが、我々が共通して不足を感じたものは「心の余裕」だった。

 多かれ少なかれ、社会の一部として生きているので、クレジットがないとあくせく働いて稼がなくてはならないし、地位や金を持っていてもそれを維持するためには日々仕事に対してメンテナンスや発想の刷新をしなくてはならない。

 お金がないと明日や来週のことよりも今日の飯をどうしようと不安になるし、日々の業務に追われて自分のスキルアップであるとか、これから家族を持つことへの希望というか余裕が持てない。
 逆に現金を持っていても、使い道という視野は広がるかもしれないが、その分、子供の将来や親の介護という少し先の不安がわいてきてやはり不安になってしまい、目先のことを楽しむ余裕がないのである。
 あぁ困った困ったというわけである。

そういったこじんまりとしたグループでの話の種としては変わり種についての噂話になった。

 逆玉でリッチなヒモ生活するも、そういった社交の世界のルールが面倒できゅうきゅうとした生活をおくっている奴もいるし、株式上場を成し遂げて悠々自適な南国ライフを送っていたやつもいたが、それはそれで大変らしく、手に入れた資金を増やさないまでも、いかに維持するかで腐心してしまい、南の島に行ってもPCの画面から離れられないということだった。

 そういったキャリアや生活水準の違いこそあれ、我々の世代の基本的な欲求はどこか満たされていないなぁという感じだ。おっさんくさいといえばそれまでだが、なんとなく疲れた感じを全員から受けているのは間違いないだろう。酒が入っていたので、その場はうるさい感じになっていたが、これからの見通しに対して全員シビアになっているのはちょっと意外だったのでよく覚えている。

 さて、どうして何となく未来に対してシニカルになってしまうのか考えると、やはりこれまでの経験がそうさせているのだろうという答えになった。アカデミックに生きたとしても、社会で活躍しても、どこかで挫折してもなんとなく働きに対して報酬や機会が少ないような状態がどこにおいてもずっと続いたということがわかってきた。
 当然、容量の良さは人によって別々であるが、一番楽に稼いでいたやつでも同じ印象を持っていたので、個人というより社会全体としてそんな空気だったんだろう。まぁ人手不足やら賃金上昇やらでこの雰囲気は変わっていくのかもしれないということになった。いまさら反政府やらデモで世の中が変わるなんて子供のごっこ遊びをする気力もないし、今以上の社会システムを作り替えられるという世間知らずでもない。

 そこで社会が悪い!とならないのは個人主義的というか、理系脳なのかもしれない。
そんなだらだらとした酒飲みの席で変な話になった。

得られなかった(と思っている)我々は他人にほしいものを渡すことができるのか?
我々は適切な要求をして相手からほしいものをえられるのか?
という話題である。
 これは商売で最も大切なことである・・・というか会話や人間関係の基本ではないかと思う。
砂漠の真ん中でのどがカラカラの人間に金の延べ棒を渡しても意味がないし、
大雨の河川のふちで、コップ一杯の水を渡してもただの嫌がらせに過ぎない。

そんなことしたら適切な対価を得るどころか殴られる可能性もあるだろう。

また、カラカラの人間に一気に大量の水を与えても、体の循環や電解質の調整がうまくいかずに場合によっては死んでしまう。
必要な人に必要なだけ与えなくてはならない。
 交渉ごとにおいてはこの必要量を少なめにしたり、ニーズを上手くコントロールすることで金儲けにつながるが、単純に相手を見て、その彼がほしいものを渡すことができるのだろうかという話である。その席ではマーケティングの重要性を示唆したり、相手の目の動きなんかを見ればわかるなんて豪語する輩もいたが、それぞれが自分の答えを持っているように見えた。相手との距離感も人それぞれなんだなという当たり前な答えである。対人経験値が多いほどその手の問題対応がこなれてくるそうだ。コミュ障でも適切な訓練を受ければ対応できるのが面白いところである。

 

 さて、自分は絵を描くようになって、改めてこの相手のニーズに対してどうするかということをよく悩むようになった。Pixivで数多くの作品があり、より多くの人に自作品を見てほしいなという欲求があるが、それ以上にたくさんの人に見られると恥ずかしいという臆病心もある。まぁ要は自信がないのかもしれない。

 しかし、相手、つまりこのサイトに来場する多くの視聴者はうまい下手などはあまり考えず、ただただ自分の見たいものを探しているような傾向があり、自分の心とは裏腹にエロい絵や放映中のアニメの絵や好きなカテゴリーの絵のみを探している。

 一方で、私、というか描き手は自分の世界を驀進しているものやひたすら相手に合わせた絵を描いて知名度を上げ続けているものもいる。まさに芸術!というような絵であってもさっぱり閲覧数などが増えないものもあり、自分を誇示することに集中しているものもいる。つまりほとんどの描き手が相手を向いて絵を描いていないのである。

 これから絵を描いていったり、エロを売ろうという企みをするうえで誰を向いて何を書いていいのか実はあまり考えていないことにハッと気づいてしまった。もちろん金儲けが最優先であるが、この辺の視点を忘れると作業自体が時間の無駄になりえると気づけた。自分のやりたいことを優先するのは楽しみの一つであるが、相手を見ずに動くことはSNSに出す意味を無くしている。大量にいる他人の傾向や好みを感じて、ほんの少しずつそれを加えて、たとえ見せかけでも「こちらのあげたいものとあなたのほしいもの」が重なる作品を作り出す訓練をしていかなければ、長続きしないなっとわかる。また、この姿勢が身につけば、金儲けの道ができるのかもしれない。

 

 

このヒントはクソ高い飲み会の会費を少しでも回収しようと頭が働いたおかげなのかもしれない。けち臭い性格もたまには役に立つものだ。

 

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