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1週間に1記事を目標にして、考えたことや描いた絵について書いてます。

小さな大阪都構想

 宣伝やイメージで動きつまり変化で人の心を大きく動かすことができると思う。現実よりも大きく見せかけることはいろいろ意見があるが、何かを治したり進めるためには必要なことなのかもしれない。今回はその代表例の大阪の失敗と衰退について考えてみました。

 

【オリジナル】「むーびんぐ NEKO」イラスト/ニッペルフ [pixiv]

↑動くこと、動く表現が絵でも大切なんだなぁと思いました。

 

 

 森友学園騒ぎで政治ショーを見ているとたまに元大阪府知事/元市長の話題が出てきて、やっぱり発信力あるなぁと思う。彼の弁護士、つまり依頼者の利益を最大化しようとする能力は素晴らしいし、間違いなく優秀なテレビ芸人なんだろう。ただ、政治家としてはやはりポピュリストとしての面が強すぎるため、実働の行政の足かせになるし、
本来政治に求められる調整能力が全くないために、彼の依頼者への利益誘導が目立ちすぎたように見える。例えば、大阪府庁舎の移転や水、湾岸にかかわる案件を見れば誰が彼の依頼者なのかも透けてくる。彼の行政能力の高さ、指導力の大きな足かせになっているなぁと残念に思う点である。
 では大阪都構想それ自体が悪であり、無駄な試みだったのかというとそうではないと思う。視点としては素晴らしいものがあり、善かれ悪しかれ一応未来に向けて指向する心意気は最近の思想には見られないものだと思う。

ではなんでうまくいかなかったのだろうか?
彼が政治家として無能だから失敗したのだろうか?
その辺を考えてみた。

 

 まず、大阪を考えるうえで一番大切なことは金儲けの変化であると思う。ここでいう金儲けはいかに金を動かすかということで、金庫にたくさんお金があることではない。
そして、この金の流動性を担保する方法が時代とともに変化してきており、その変化に大阪を含めた多くの地方自治体はついていけていない。

 具体的に変化について考えると一つ目の変化は流通であると思う。

 長い日本列島の歴史において流通の中心は海運、船であった。韓国プサン日本海、福井、琵琶湖、宇治/淀川、大阪、瀬戸内海、山口、福岡といったルートが近畿経済圏となり、それに中国渤海周辺や東南アジアの広大な領域を行き来する極東経済圏の一部が関西であった。このルートを支配することで継体天皇の即位であったり、平清盛足利義満による権力基盤を盤石のものにしたことを考えるとものすごく大切なことであると考えられ、それをめぐって何度も戦争が起こった。

 このルートは豊臣秀吉によって大阪が中心とされ、大阪を中心にほぼすべての流通が支配される体制が整えられた。しかし、このルートはアメリカの登場と明治維新によって大きく変化し、流通路が太平洋全域にまで広がり、第一次世界大戦により、ついにはヨーロッパまで拡大した。ここまで拡大してしまうと、いったい誰が管理するとか支配するとかいうことはできず、お互いの利権をせいぜい主張する程度で明確な全体の支配者が存在できないようになった。大東亜戦争が終わり、その流通路は日本国内とアメリカに限定されるが、日本の復興とともに徐々に朝鮮半島、中国特別区、タイなどの経済植民地を増やしその流通路を再び拡大していった。

 戦争に負けることで流通路が一時大幅に縮小し、大阪の優位性も大きく減退した。もし戦争に負けず、営々と続けていた海運が戦後も同じように続けば、大阪、ひいては近畿経済圏はいぜんのまま強力な利権を維持し、今のような不安定な状態になっていなかっただろうか。
 実はそうではないと思う。戦後、物流に関しては大きな変化を遂げていて、トラック、道路網、鉄道による陸運の発達、飛行機の発達による何十倍ものスピードによる輸送が定着し、海運の役割は限定され、ゆっくりでもたくさんのものを運ぶということに主眼が置かれた。これにより船の大型化が年々と進み、それを受け入れる港湾建設の巨大化が国家規模でなされた。タンカーが生まれ、巨大タンカーがさらに生まれ、現在は超巨大タンカーによるウルトラ輸送によって海運が効率化されている。
 日本において巨大タンカーの港湾は多くあるが、超巨大に対応したものは現状ない。
この超巨大タンカーは超巨大港で荷下ろしし、小ぶりの船に乗せ換えて各地に運ばれる。そのため、以前のように大阪が流通経済圏の中心になるためには、絶対的に巨大な港が必要であったが、結局作らなかった。そのため物流に関して現在大阪湾は一地方都市の港となり、韓国プサンにその座を奪われている。バブル期前後に権勢を取り戻し瀬戸内海海運が限界に近いから港を更新しなくなった。輸送量は大して変わらないのに利益がガタッと傾いていることからも単純に流通の変化に取り残されたことがわかる。

 

 それなら、関東圏、特に東京もでかい港はないではないか!というかもしれない。その通りである。東京も東京湾を中心に港、高速道路、鉄道網をまるで輪を描くように配置しているが、その設計思想は古く、現状の物流は限界に達している。しかし、東京は今も発展している。なぜだろう?
 それが2つ目の変化であると思う。金はものを交換する通貨である。お店でものを買う時に使う。しかし、金融というものが存在し、株、先物という半ば博打のような使い方も存在する。経済において、たくさんお金を持っていることはあまり重要でなく、貸借できること、つまり動くことが本質であるという考えである。お金という信用で他の物やアイデアの信用を買い、買った信用でまたお金を買うというまったく実物を伴わない方法である。インターネットの発達により、情報交換が瞬時に行われるようになると、この信用となったお金の流通が物の流通よりも主要な取引となり、地球中を信用という情報が駆け巡ることになった。この中心地のひとつが東京である。信用となったお金が東京で売買をし、しばらくするとロンドンやニューヨークに行って、上海に行く。実体がないためどんどん動き、どんどん大きくなる。それに東京は乗って動いていると考えていい。大阪証券取引所を閉鎖し、大阪は自らこの中心地であることを捨てている。一度捨てた権利は容易なことでは戻らず、金融証券としての流通拠点とはならないだろう。

 大阪というか関西全域がこれらの変化について、明確にいつとは言えないが全く目をつぶってしまった瞬間があり、目を上げたとき身動きが取れなくなっていたのが今の大阪なんだろう。かつて大阪が栄えた要因は流通と金融の中心であったのに両方とも自ら手放してしまったのである。変化どころか当時の権能すら捨ててしまった。これが一番大きな大阪域衰退の原因だろう。大きな方向性を示せず、他者、他国の変化を無視した結果かもしれない。

 

 そこで大阪都構想である。衰退しつつある関西経済圏において、その領域の行政の金の動きに注目したのだろう。簡単に言えば、徴税権を一括化して、集めた金をどこかに集中投資して東京都みたいになろうという計画である。これはいまの大阪域の金の使い方がちまちましていて、ビックな効果が出ないのでドカッと集めて、ドカッと使えば効果も100倍という感じである。上記の巨大経済圏の金儲けには及ばないまでも、小さな経済圏としての復活の可能性はあったのかもしれない。ただ、上手くいくかもしれないがドカッと投資されないところはむしろスカッと貧乏になるので、その調整がこの計画の核心といえるのかもしれない。

 

大阪都ではみんなが必ず損をして、得をする順番をずっと待たなくてはならない。

 

 大阪組はこの我慢に対する説明が結局できなかった。内部闘争を繰り返して誰も進んで損をしようとしなかった。シャープ工場をもつ堺市の離反を機に全域で混乱が起こり、最後に住民投票で負け彼は逃げ出してしまった。

 対照的なのが東京組であるが、石原とお友達が自分たちの利益を我慢して、ここまで大きくなったことは政治集団としてかつてない有能さを示していると思う。また、大きな青写真がなくとも常に公共事業を行いインフラ整備を行って、現在の地位を築き上げた都の官僚群はある意味異彩を放っていると思う。しかし、現状の大阪に彼らをまるまる移しても大阪をどうにかすることは難しい。大阪はすでに都市としての価値を大きく下げているし、大規模な投資とそれを調整できるだけの心理的なゆとりを住民投票によって失ってしまっている。始めにちょっと書いた森友学園騒ぎからもわかるように維新を含め大阪湾周辺では全員が目先の利益を優先したことが、大阪都構想の失敗の原因だろう。

 

 結局のところ、目先の100円のために未来の1万円をなくしたような状態だが、経済が緩やかに日本全体として回復するかもしれないし、ナニワのノーベル賞みたいな人(本物)がでてきて、活気がつくかもしれない。しかし、それも一地方としての活況であり、人はまぁ多いが小さくこじんまりとした地域に落ち着いていくのではないかと思う。もし、かつての巨大経済圏の中心に返り咲きたいのであれば、他から兆円単位の巨大投資を呼び、弁護士や芸人ではなく、実際に権力、権威のある者をトップに据え
都構想程度の小さい規模でなくもっと大きな経済圏構想を中心として事に当たらないといけない。この辺の話を見聞きすると小さいと感じる。すべてがけち臭いのである。

 

 

 

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